科学とは、実験や観察から得られた結果を体系的にまとめた知識を指す。

それは再現性がなければならず、同じ手順を踏んで同じことを行えば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着く性質のものである。

言い換えるならば、実行する人によって結果がバラバラだったり、同じ人でも毎回違う答えが出てきたりするようなものは科学的とは言えなくなる。

介護データベースとして国が開発・管理する科学的介護情報システム(LIFE)は、果たしてそうした科学を導き出しているのだろうか。はたまた将来的にそうした科学的なものを導き出せるというのだろうか。

しかし科学的介護情報システム(LIFE)は、導き出そうとする結果も、そこにつながる因果関係のある介護の方法論も推論することさえなく、データを集めて解析さえすれば、何らかの科学的なものが生まれるであろうという、極めて希望的過ぎる推測によって成り立っている。

いやそれは推測というより幻想に近いと言ってよいのかもしれない。
信仰
それは根拠なく、「介護の科学は必ず存在する」といっているのと同じであり、「神は必ず存在する」という信仰にも似たものである。

信仰は、信じることだ。それはそれで良い。信仰の布教者は、信じさせるために現世利益を謳う。それもそれでよいだろう。だがそれは真の信仰に導くための方便であり、それがやがて人の心を救う結果に繋がればよいだけの話だ。

しかし科学は違う。

科学は信じるものではなく、疑い検証するものである。

だから科学が現世利益を謳うとすれば、それは方便ではなく、ただのだ・・・そしてその先にあるものとは利権でしかない。

だからそれを批判するものは敵になる。欠陥を指摘することすら許されなくなる。

しかし批判や疑問を受け入れない科学は、もはや科学ではない。

そういう意味では、最も科学とは遠い非科学的なものが科学的介護情報システム(LIFE)と言ってよい。

そんなものにデータを送る作業に、私たちは多くの労力を費やさねばならない。そこからフィードバックされる意味のないデータ平均値比較を、PDCA活用せよと強要されている。

介護事業者は、そこから科学を自ら導き出せと丸投げされているのだ。(参照:LIFEは巨大なゴミ箱に過ぎない・・・。

そこに垣間見えるのは、国の権力・官僚の厚顔でしかない。

そうした権力が民間営利企業とがっちり手を握り合って巨大な利権を創り上げ、がっちり握って離さないのである。

よってLIFE関連加算も無くなることはないが、それによって介護の生産性が向上するなんて幻想を持ってはならない。

何度も言うように、科学的介護情報システム(LIFE)は信仰化して、利権として存在しているだけなんだから・・・。






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