10月26日の介護給付費分科会では短期入所生活介護について、看取り期の利用者に対するサービスの提供を新たに加算で評価することが提案された。

それによると事業所としての支援方針を策定していること、一定の看護体制をとっていることなどを加算算定要件にしてはどうかとされている。
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資料より抜粋
・泊まり機能を有する短期入所生活介護において、事業所の看取り期の利用者に対するサービス提供体制を強化する観点から、レスパイト機能を果たしつつ、看取り期の利用者に対してサービス提供を行った場合は、新たに看取り期における取組を評価することとしてはどうか。

・なお、新たに設立する加算は、看護職員の体制や看取り期における対応方針を作成していることを要件に評価してはどうか。また、相当期間以上のサービス利用が行われる場合は、算定に制限を設けることとしてはどうか
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ショートステイの看取り介護機能を強化する視点は大いに賛同できる。
ショートステイでの看取り介護
自宅で人生の最終ステージを過ごしたいと考える人にとって一番のバリアとなるのは、介護してくれる人の負担である。そうした負担をかけたくないとして、自宅で人生の最終ステージを過ごすことをあきらめる人も少なくない。

そうであるがゆえに、看取り介護中であってもショートが利用できるという選択肢があれば、そのようなレスパイト機能をうまく利用することで、自宅で家族に看取り介護を受けたいという希望、あるいは自宅で家族を看取りたいという希望が叶うかもしれない。

少なくとも、それは自宅で人生の最終ステージを過ごしたいと希望する方や、身内を最期まで自宅で看取りたいと思う家族にとっては、看取り介護期に利用できる社会資源が増え、方法論が広がるという意味で朗報だろう。

しかしそのための体制として看護機能の強化が必要とされ、それが体制加算要件となるという考え方はどうだろう?僕自身は、その考え方に納得できない。

このブログ記事で何度も書いているように、看取り介護は日常介護の延長線上に、ごく当たり前に存在する介護である。それは決して特別な介護ではなく、病状が回復不能でまさに今、人生の最終ステージを生きているというコンセンサスのもとに実施されるケアである。

当然そこでは終末期の病状理解等は必要だが、それは看護の専門知識ではなく、介護の知識として備えおく問題であり、そもそも看取り介護として行われる行為は看護ではなく介護である。

つまり・・・看取り介護を行う体制として必要なことは、看護職員の加配ではなく、看取り介護とはどのような介護なのかという正しい知識を身に着けた介護支援者※看護職員だけではなく、相談員や介護職員や栄養士等を含むという意味)の存在なのである。

特に医療機関のターミナルケアの考え方から抜け出せない介護職員は、本物の看取り介護実践を行っている介護施設にとってはバリアでしかない。そうした看護職員は、とにもかくにも安静第一、とにもかくにも行動制限・食事制限第一という考え方に陥って、人生の最終ステージに様々なエピソードを刻むための支援という視点が持てないからだ。

そういう意味では、看護職員の体制が看取り介護の質につながるという誤解、あるいは偏見を持った議論は止めてもらいたいとつくづく思う。

国が看護体制を看取り介護加算の算定要件にするという提案に対して、僕がここで書いたような反対意見が全く示されない介護給付費分科会とは、介護のド素人が議論する場でしかないということが改めて理解できるというものだ。

まったく何のための審議会なんだか・・・。






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