看取り介護加算を算定している特養では、しばしば複数の利用者が看取り介護の対象となっている場合がある。

一度に10人近い入所者が、看取り介護を受ける時期が生ずることも、けっしてあり得ないことではない。

そのとき、看取り介護対象となった利用者は、居室変更されて同一フロアに集められ、人生の最終ステージを過ごしているケースもある。

それ自体は特に問題とは言えないだろう。しかしそうして看取り介護対象者が複数集められた一角が、他の利用者から隔離された介護施設の中の密室空間になってしまっては、それはもう看取り介護ではなくなり、孤独死誘導にしかならないので注意が必要だ。

仮に看取り介護対象者を集中させるフロアがあったとしても、そこも生の息吹が感じられる空間となっておらねばならないし、そのフロアにたくさんの人が訪れて、誰かの人生の最終ステージを飾る様々なエピソードが生まれなければならない。

寂しさしか与えない看取り介護は、孤独死そのものであるということを忘れてはならないのである。

例えば、看取り介護対象者の個室が日中でも遮光カーテンが閉じられたままで暗く、介護する職員以外の訪れがほとんどなく、静かで音のない部屋になっていることがある。

看取り介護対象者がそこで、その状態のまま静かに息を引き取ることも、僕は施設内孤独死以外のなにものでもないと思っている。

僕が総合施設長と勤めていた社福では、毎朝の朝礼と引継ぎの際、看取り介護対象者がいるフロアの担当者から、必ず看取り介護対象者の状態を報告するようにしていた。そんなふうにして看護・介護職員のみならず、事務職や営繕担当者など、すべての職員が、今看取り介護を受けている最中の人の状態を確認して、かつ1日に1回は看取り介護対象者の居室を訪れ、できれば会話を行い、それがかなわないのであればせめて声かけを行うように促していた。

看取り介護対象者のとって、一番守られねばならないことは、安心と安楽な状態である。それは今更言うまでもないことだ。しかし必ずしも安心と安楽安静ではないことに気が付かねばならない。
看取り介護のコンセプト
看取り介護対象者の状態にも個別性が多々ある。旅立ちのその日まで、安静に過ごさなくても良い状態の人は少なくないのだ。

看取り介護対象者とは、命の期限がある程度切られた人であり、人生の残り時間のカウントダウンが始まった人でもある。

だからこそ残された限りある時間を意識し、そこで刻まれる1秒1秒を大切にして、残された時間の中で、人生最後のエピソードをいかに刻むことができるかを考え、そこに手を差し伸べることが看取り介護なのである。

愛する家族や友人・知人との別れを意識した最後の会話機会を創ること、この世で縁があった様々な人との最後の思い出作り。限られた時間の中で、そうした支援を意識したとき、真っ暗な部屋の中で、音のない状態で逝かせることの虚しさに気づくことができるだろう。

看取り介護対象の周りには、死を迎えようとする悲しみだけが存在するのではない。そこにはこの世に生を受け、その命が燃え尽きようとする瞬間まで、「人として生きる」瞬間・瞬間の貴重な時が流れている。

そこにはこの世で出会えて感謝するたくさんの人々が集まってくるはずだ。それらの人々は、そこで哀しみに暮れるのではなく、最期にお別れの時間を持てることの感謝と、そこで生まれる新しいエピソードに笑い、喜び、感動することもできるのだ。

そうした貴重な時間を大切にしてほしい。

縁あって、そういう人々の人生の最終ステージに関り手を差し伸べることになった施設従業員として、最期にできる介護のプロとしての使命と誇りを胸にして、自身ができる精一杯を注いでほしい。

人としての限りない愛情で、看取り介護対象者の方々の周りを囲んでほしい。・・・私たちは、それができる職業に就いている。そしてそこでは、私たちにしかできないことが数多く存在していることを決して忘れてはならない。

私たちは、そのために天から介護という職業に就く運命を与えられているのである。






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