(コロナ禍がもたらす感覚麻痺はなかったかに気を配る時期)より続く。
新型コロナウイルスの分類変更以降、会場で人を集めて行われる研修会が増えた。
僕もそうした研修講師としてお招きいただく機会も増えているわけであるが、その中には社会福祉法人等の自社職員を対象とする職場内研修も含まれている。
介護事業を広域展開している大規模な法人さんであれば、できるだけ多くの職員に講演を聴いていただくためにはオンラインの方が便利だろうと思う。しかし直接会場で話を聴き、そこで講師と受講者が直接意見交換して学ぶという機会は貴重であるということで、会場講演とオンラインを併せたハイブリット講演を行う事業者も多くなっている。
どちらにしてもコロナ禍ではなかなか実現が難しかった、会場で対面しながら話をできる機会が増えてとても嬉しい。そこでは様々な繋がりが新たに生まれたりするからだ。オンラインだけでは生まれない人脈というものが、そこでは生まれたりするのである。
会場でお会いする受講者の皆さんとは、質疑応答以外にもコミュニケーションを交わす機会が多くなる。
そこでいろいろな話を聴くことができるわけであるが、そこで気が付いたことがある。それはコロナ禍をきっかけにして、他業種から介護事業者へ転職した人が思った以上に多いということである。
さすれば、その人たちが介護事業者に就職した当時、すでに面会制限や外出制限などが行われてたということになる。それは制限が行われる以前の介護事業者の状況を知らない人が増えているという意味でもある。

上の画像は、「介護事業におけるサービスマナー」をテーマにした僕の講演のスライドである。
制限なんて平時にはしていなかったことを思い出して、平時の感覚を呼び戻してほしいと呼び掛ける内容のスライドである。しかしコロナ禍以後に介護事業者に就職した人は、この意味がぴんと来ないかもしれない。なぜならその人たちは、平時を知らない人たちでもあるからだ。
するとその人たちの中には、介護事業者が面会や外出を制限するのは当たり前のことという感覚を持つ人がいるのかもしれない。いや、むしろコロナ禍以前から介護事業に携わっていた人でも、コロナ禍をきっかけにして、利用者に制限を強いることが当たり前という感覚に陥ってしまった人がいるのではないか・・・。
しかしそれは違うと言いたい。人の権利や自由を簡単に制限することは、誰であってもできないというのが普通なのである。それができてしまうのは普通ではない状態のときに限るのである。
利用者本位という言葉がある・・・その意味は、サービス提供側の主観や都合で物事を考えるのではなく、利用者本人が主体的に判断し選択・決定することが本来であるということだ。
対人援助サービスは、この言葉を建前に終わらせてはならない。私たち対人援助のプロとは、利用者本位を本音とする支援者であり、ケアプランはその宣言書であることを忘れてはならない。
コロナ禍で行われた制限は、あくまで非常時の特例であって、平時にそれを繰り返すことは、人の正当な権利さえ奪い取りかねない忌むべき行為になりかねないことを、平時を知る者から、平時を知らない人たちに伝える必要もあるのだ。
本来制限とは、しないに越したことはないものなのである。




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