昨日の更新記事で指摘したように、介護報酬改定について意見交換を行う介護給付費分科会の1ラウンド目が終わり、各サービスの論点が出そろった。

そこで目立っているのは看取りへの対応が各サービスを横断して課題や論点として掲げられている点である。

第1ラウンドの最終回であった8/7の第221回社会保障審議会介護給付費分科会(web会議)でも、この日話し合われた全サービス種別において、「看取りへの対応の充実」が課題や論点として挙げられている。

先に話し合われた居宅サービスにおいても、訪問介護等で看取り対応の充実は論点として挙げられていた。

これはすでに我が国が多死社会に突入しているからに他ならない。死者が増える中で医療機関のベッド数は減っていくので、死ぬためだけに医療機関に入院するようなケースをなくし、最期に住んでいる場所がそのまま看取りの場になることが求められているのである。

しかしその際に、医療機関で最期の瞬間を迎えられない人が、終末期に必要な支援を十分受けることなく悲惨な状態で死を迎えることがないようにすることが重要である。それが、「看取り難民」が発生しないように対策するという意味である。

今回の介護給付費分科会第1ラウンド資料からは、国はそこに力を注いでいくという覚悟が読み取れるわけである。
田園
当然、そのための準備として、「人生会議(ACP)」を含めた終活も重要になってくる。

これらを総合的に学んで多死社会の国民ニーズに応えることが、すべての介護事業者に求められてくることを理解しなければならない。

そういう意味では、すべての介護関係者は人生会議を含めた終活についての知識を備えておく必要があるし、すべての介護事業者が看取り介護を実践するスキルを備え置かねばならないのである。

看取り介護をするとかしないとか、あるいはできるとかできないとか言っている場合ではない時代なのだ。

看取り介護ができない介護ができないとみなされ、そういう事業者や従業員は、介護保険制度サービスの場から退場しなければならないことを肝に銘じるべきである。

よって介護事業経営者は、従業員に看取り介護は特別なケアではなく、日常ケアの延長線上に必ず実践すべきケアであるという教育を行わなければならない。終末期の身体状況の変化等の知識、それに応じた安心と安楽を提供するケアの方法論等を、しっかり備えおくような学びの機会を創っていかねばならないのである。

しかしただそこで利用者が死んでいるだけでは看取り介護とは言えないのだ。

看取り介護とは、対象者の死期がある程度予測されている時期の介護であるからこそ、できることがあることを理解させなけれなならない。死期がわかることは即ち、残された限りある時間を意識してケアできるという意味である。

それはこの世に生まれた尊い命が、人生の最終ステージを生きる間に、お別れの時間を意識できるという意味でもある。人生最期の時間に様々なエピソードづくりを支援できるのが看取り介護なのである。

そのような本物の看取り介護実践によって、そこに携わる職員は介護という職業の使命を感じ、仕事を続けるモチベーションを得ることができる。定着率も高まるのである。

どうかそのことを全職員に伝え、その使命を果たすような介護実践に心掛けてほしい。

そうした使命と実践法を伝えるために、僕も協力を惜しまないので、人生会議を含めた終活や看取り介護についての講師を希望する場合は、是非気軽にメール等で相談願いたい。

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