今年の8/6広島原爆の日は、日曜日と重なった。
登別はその日、早朝から雨になり7時過ぎには雷が鳴り響く豪雨の様相を呈していたが、広島に原爆が投下された8時15分までにはその雨も上がり、あの日の広島のような青空が広がった。
そんな青空の中で追悼のサイレンが市内に鳴り響いた。そのサイレンと共に僕も黙とうし、鎮魂と平和の思いを込めて祈りを捧げた。
同じ時刻、札幌の大通公園では核兵器の廃絶や核実験の反対を訴える集会が開かれ、犠牲者の姿を再現して核兵器への抗議を示す「ダイ・イン」(死の抗議)が行われた。

黙とうをささげた後、大通公園に横たわった参加者の胸に去来するものはいったい何だったのだろうか・・・。その祈りは天に届いただろうか。
それから3日後の今日8/9は、長崎原爆の日である。
あいにく今日の九州は、台風6号が接近している影響で大雨が懸念されている。その為、長崎での平和祈念式典は1963年以来2度目となる屋内開催となり、その規模も縮小されている。
しかし人々の祈りの気持ちにそのことは影響しないだろう。登別は今日も晴れの青空が広がっているが、お日様が見えないであろう遠く長崎の空を思って祈りを捧げよう。
世界で唯一の被爆国に生まれ育ったものとして、あの戦争を知ろうが・知るまいがに関係なく、原爆という残酷で卑劣な悪魔の兵器によって命を奪われていったすべての人々の魂が安らかなれと祈り捧げる必要がある。
亡くなられた方が、生まれ変わったときに、またこの日本という国に生まれたいと思う国づくりに励む必要があると心から思う。
それにしても原爆投下から78年。それはイコール終戦から78年という意味である。その年に生まれた人も今年78歳になるという日本で、その戦争を肌で知る人の数は年々減っている。
僕がかつて書いたブログ記事、「トシさんの戦争体験」で紹介した体験を語ることができる人も年々減り、戦争の悲惨さを伝える人がいずれいなくなってしまうのだろう。
平和ボケした日本では、隣国がミサイル発射実験を頻繁に行い、近海にそのミサイルが落ちるたびにJアラートが鳴っているのに、そのことにも慣れて、危機感なども薄れてしまっている。
だがこの平和も永遠に続くとは限らない。だからこそ、あの戦争の悲惨さを伝える人から思いを受け取って、戦争を知らない世代から戦争を知らない子供たちに向けて、脈々と平和の願いと、その実現に向けてしなければならないことを伝え続けなければならないのではないか。
私たち自身にも、この時代に生きている使命と責任があるはずだ。ひとり一人の日本人が、平和への思いと願いを伝えなければならないのだと思う。
1945年(昭和20年)8月9日、長崎に原爆が落とされた時刻は午前11時2分。今日もその時刻に登別市にはサイレンの音が鳴り響いた。
遠く北の大地から、長崎に向けてその時刻に目を閉じ、思いを込めて祈りを捧げた。
もう二度とあの悲惨な歴史が繰り返されないようにと、長崎の空に向けて祈りを捧げた。
広島と長崎の悲劇、そしてこの国日本の悲劇が再び繰り返されないようにと・・・。
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