本来ならば、時間(とき)に区切りはない。それは始まりも終わりもなく、永遠と流れ続けていくものである。
この永遠の流れに、人間(ひと)は便宜上の区切りをつけ月日や時刻を刻んでいる。時を刻んで意味を持たせているのである。
それは人間という存在が永遠の存在ではないからであり、生命(いのち)には限りがあるからなのかもしれない。
時間に区切りをつけることで、人間にとって特別な時間を切り取って、思い出とすることができる。もし時間に区切りがなかったら、そうした思い出も全て流れ消え去ってしまうかもしれない。
看取り介護も、終末期という時間区分によって可能になる介護であり、人間の生命体としての寿命が尽きようとしている状況を、人生の最終ステージとして生きる時間として意識することで、様々なことが可能になる。
終末期は徐々に口から食物や水分が摂取困難になる時期である。だからと言って頑張って体に栄養や水分を送り込まなくてよい時期だ。終末期を迎えた体は、水分や栄養をもはや必要としなくなる。無理に与えることは負担をかけるだけだからである。
こうした、「しなくてよいこと。してはならないこと」も終末期という時間区分を意識しないと見えてこないものだ。
人との何気ない出会いや触れ合いも、終末期という時間区分においては特別なものとなり得る。
この世で縁を結んだ人々との最後になるかもしれない出会いとふれあいの時間・・・それらを意識して愛情を確認し合う場が看取り介護の場である。
本物の看取り介護を実践しようとするならば、利用者自身の安楽と安心の身体・精神状況を維持することに最も注意が必要だが、その要素の一つに人間愛を交わし合う時間・・・そうしたエピソードを大切にするという意識が必要になる。
僕は看取り介護について、決して特別なケアではなく日常介護の延長線上にあるものであり、日頃の介護の質を高める努力が適切な看取り介護にもつながると言い続けている。
看取り介護の質を高めるという意識ではなく、日常の介護の質をきちんと担保しつつ、限られた命ある人間に対するケアの在り方として、利用者の方々が生きている時間軸を意識し、そこで最もふさわしいケアを提供するのが私たちの務めであると考えている。
だからこそ僕の看取り介護講演は、日常ケアのあり方も含めて求められる実践方法を話している。看取り介護対象者の人生の最終ステージで創り出される様々な愛情のエピソード造りを支援する具体論を話している。
そんな僕の看取り介護実践論を学ぶことで、受講者は介護という職業の使命と誇りを感じてくれている。さらに日常ケアの品質アップのヒントや動機づけを獲得してくれてもいる。
そういう意味で僕の看取り介護講演は、看取り介護の方法論を学ぶために受講するのではなく、利用者本位という言葉を本音にする、求められる介護の在り方を学ぶために受講すると考えてほしい。
介護事業経営者や管理職の皆様にも、そうした理解で従業員の皆様を、僕の看取り介護講演に派遣してほしい。
今週の水曜日(8/2)は、大阪市老連主催の看取りケア研修会を大阪市立社会福祉センターで行う予定になっている。
1年ぶりの大阪での看取り介護講演は、久しぶりに会場で受講者と対面して行う研修会である。そこから学び取った方法論を、それぞれの職場の実践法に取り入れて、利用者の豊かな暮らしを実現してほしいと願う。
大切な時間(とき)の雫を、手のひらでしっかり受け止めて職場に持ち帰ってほしいのである。
本物の看取り介護の実践論を聴きたい方は、是非会場までお越しください。申し込みは締め切られているようであるが、どうしてもと事務局に頼んだら、もしかしたら特別に席を用意してくれるやもしれない・・・。
それでは皆様、大阪市立社会福祉センターで愛ましょう。
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