先週SNS上では、卒業式の話題が数多く取り上げられていた。

卒業と一口に言ってもそれは様々な舞台からの卒業であるが、その中には4月から社会人としてスタートを切る方々も数多く含まれている。そして当然その中には、介護福祉士等の介護職としてスタート地点に立とうとしている人達の姿も垣間見られた。

僕とつながっているSNSでは、そういう人たちの話題が数多く書き込まれていた。
さくらそう
しかし最近の介護事業者は、年がら年中退職者補充の採用が行われていて、4月からの新年度に一斉に新入職員が入職して盛大に入社式を行うという状況ではないというところが多い。

それだけ人材難が深刻であるということだろう。

そのことは同時に、人が少ないから闇雲に募集に応募した者を採用し、ろくな教育も行わずに現場に放り出すということも常態化させている。そんなふうに現場に放り出された人は、知識も技術も未熟なまま介護職として働き続けなければならない。

そのことが介護サービスの質を悪化させる原因にもなっている。

そうした未熟な介護職員が数多く働く介護事業者で忙しく利用者対応する人の中には、利用者の心に寄り添うなんてことは考えることもできず、利用者をまるで物のように扱い、介護という行為を単に機械的で乱暴な肉体労働に貶めている人たちさえ存在させることになる。

そんな場所に就職した新人は不幸だ。せっかく希望を胸に介護職としてスタートした場所に希望が存在しないどころか、自らが利用者に不幸を運ぶ存在となるかのような作業員と化す指導が行われていくからである。

そんな場所では、利用者の方々の哀しい表情も苦しいという訴えも無視しなければ作業が終わらない。毎日、「嫌だ」・「助けて」という声を耳にしながら、その声が聴こえないふりをして、黙々と先輩から指示された作業をこなす労働に、どんな価値を見出せというのだろう。そこに面白みを感じろと言えるのだろう。

そんな仕事に誇りを持てるのだろうか・・・。

介護という仕事に誇りを持てない人たちが数多く働き、その人たちが指導役となって新人職員に仕事を教えている職場では、「理想と現実は違う」という言葉が頻繁に飛び交う。しかしそれは介護の仕事に誇りが持てず、介護の知識も技術も拙い、本当の介護ができない人々の戯言だ。

介護福祉士養成校を卒業する生徒たちは、2年間の学業のさなかに、様々な場所で誇りある介護職の先輩たちに出会って、そういう人になりたいという希望をもって卒業していくのだ。

その子たちの理想とは、現実そのものであり、その子らにとっての希望なのである。

そ鵜であるにもかかわらず、一部の人たちは、自らの現実が貧しいものであるというだけで、押しなべてすべての介護現場が、自分たちのようなスキルの低い人間で動いていると勘違いして新人に恥ずべき現実を押し付けているのだ。

介護事業という、人の暮らしに深く介入すべき職業の拠点が、そのような場所であってはならない。

だからこそ入社式はしっかりと行い、新入職員に希望と夢を与えるステージを用意してほしい。

そのうえで新人職員が夢を追うことができ、希望を失わずに、その夢と希望を介護の誇りに繋げる新人教育をしてほしい。そういう教育ができる介護の場であってほしい。

そういう職場は理想ではなく、現実として数多くあることを理解してほしい。
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