僕は今、羽田空港のラウンジでこの記事を更新している。
今日は夕方18時から20時までの予定で、埼玉県の大宮で講演予定が入っているため、北海道から飛んできたところだ。
真冬の当日移動ということもあり、多少の遅れが出ても講演に支障がないよう、朝早い便で新千歳を立ったが、少し早く着きすぎたようだ。そのため羽田空港で食事を摂りながら少し時間をつぶして大宮に向かおうと思っているところだ。
今日の講演テーマは、「看取り介護実践の基本」である。新設のサ高住のオープン記念講演として新設施設を会場にして行われる講演であるが、サ高住のオープンスタッフのほかにも、近隣の介護事業関係者が集まってくれる予定になっている。
看取り介護というと、「死」をイメージする人が多いと思。しかし僕は看取り介護とは、「生きる」を考えることが最も重要だと思っている。
命の期限を切られた人が、人生の最終ステージをどう生きるのかにスポットを当てて考えなければならないと思うのである。
死を恐れる人は少なくない・・・というより人が死を恐れないひとは、稀な人といってよい。
しかし死を回避できると思っている人はいない。誰しもがいずれ自分は死の瞬間を迎えることを知っている。
そうであるにもかかわらず、人が死を恐れるのは何故か。それは自分が死ぬことそのもの・死ぬ瞬間を恐れるというより、死につながる時間を、辛く苦しく過ごすことを恐れているという意味ではないのか。
そのことは、「ピンピンコロリ」を望む人が多いことでもわかる。
ピンピンコロリ とは、 健康寿命 の長さを言い表した表現で、「 病気 に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のう」という標語である。 略して PPKともいう。
また、「ぽっくり信仰」を崇拝している人も昔から存在する。それは長患いして寝たきりになり、下の世話までされることなく安らかな死を祈願する祈りでもある。
そのように人は、死に至る過程で自分が苦しむこと、自分の愛する家族に迷惑をかけることを恐れているのではないのか。・・・僕自身はそんな気持ちが強い。
看取り介護は、そのような人の傍らに寄り添い、人が最期の瞬間まで尊厳を持つと同時に、生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護ではないかと思う。
最後の瞬間まで安心できるように、安楽な状態で寂しくさせないように・・・。そのために寄り添う介護が求められているのではないだろうか。
そもそも対人援助とは、誰かの人生の一部分に深く関わるという意味であり、高齢者介護とは、誰かの人生の最晩年期に関わるという責任があるのだから、私たちは看取り介護を、「する・しない」、「できる・できない」と判断するのではなく、日常介護の延長線上に、ごく普通に看取り介護の実践があって当然であると考えるべきだと思う。
今日はそういう話をしてくるつもりである。大宮でお愛する皆様、どうぞよろしくお願いします。
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