「社会福祉」の概念は様々に示されているが、わかりやすくその意味を紐解くとすれば、「みんな(社会)が幸せ(福祉)になるための取り組み」という意味ではないかと思う。
その社会福祉の担い手である社会福祉法人は、「みんな(社会)が幸せ(福祉)になるためには、何をすべきか」を問い続ける組織運営をしなければならない。それも時代に沿う形で、文化国家としての我が国における今・現代の福祉レベルを担保する主体であるという気概を持たねばならない組織だと思う。
そんな社会福祉法人の姿勢が問われるような問題が、今朝の北海道新聞朝刊一面トップで報道されている。

檜山管内江差町の社会福祉法人「あすなろ福祉会」(樋口英俊理事長)が運営するグループホームで、知的障害がある男女の同居や結婚を認める際、男性はパイプカット手術、女性は避妊リングを装着する不妊処置を20年以上前から条件としており、拒めば退去要求を行っていたとのことである。(参照:『江差の「あすなろ福祉会」、知的障害者の結婚に不妊処置 20年前から条件化、8組に実施 拒めば退去要求』 ・『江差の元入居者「不妊処置受けた人5、6人知ってる」 会話はご法度、当事者は「泣き寝入り」』)
いつの時代の記事かと思うほど時代錯誤な対応ではないかと思ったというのが正直な感想だ。
この社福法人の理事長のインタビュー記事も道新Webで配信されている。(参照:不妊処置「ルール守ってもらう」 江差「あすなろ福祉会」樋口理事長の一問一答)
リンク記事は数日後に消されるため、理事長の主張の要点を転載しておく。
・授かる命の保証は、われわれはしかねる。子どもに障害があったり、養育不全と言われたりした場合や、成長した子どもが『なぜ生まれたんだ』と言った時に、誰が責任を取るんだという話だ
・『子どもが欲しい』と言った場合、うちのケアから外れてもらう。強制するわけではない。うちが関わる場合は一定のルールは守ってもらう
・生まれた子どもを育てるために職員を雇っているのではない。われわれは障害のある当事者のケアはするが、生まれてきた子どものケアまでしなければならないのか。その法人の考え方、支援の幅でいいんじゃないか
この発言を通じて感じるのは、不遜・おごり、そして器量の狭さ・・・でしかない。
本来、そのどれか一つでも私たちの中に潜んでいれば、知識や技術もいつか自分を裏切るものである。
社会福祉法人という組織のトップを担う者が、人の幸せを追求する姿勢がないのは何とも嘆かわしい。
障害がある方々であったとしても、結婚適齢期の男女が暮らす場であれば、当然恋愛や結婚、そして出産という事柄に結びつくのは当たり前だと思う。その過程を支援するのは、社会福祉という以前に、「人の道」ではないのか・・・。それができない人、理解しようといない輩が、社会福祉の実践者であって良いはずがない。そんな輩が社会福祉の担い手を標榜して良いわけがない。
子どもを産み・育てる権利を簡単に奪う人、奪って当然と思う人が社会福祉法人の理事長職に就いている。・・・そのことを同じ道内の関係者として恥ずかしく思う。
※登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。





北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。
・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。
・masaの看取り介護指南本「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは」(2021年10月10日発売)をAmazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。