先週札幌地裁で、被保護者の権利を巡る一つの判決が下された。
まずはその裁判内容と、下された判決の理由についてネット配信記事から要旨を転載するので参照願いたい。
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(北海道ニュースUHB:12/1(木) 7:00配信記事より転載)
2019年、生活保護を受給している札幌市の50代の男性が自宅で使用していたストーブが故障し、その後、新たなストーブを買う代金の申請を却下されたのは憲法違反などとして、札幌市を相手に処分の取り消しを求めた裁判で、札幌地方裁判所は11月30日、原告の請求を棄却する判決を言い渡しました。
訴状などによりますと原告の札幌市白石区に住む50代男性は心筋梗塞や動脈硬化症などを患い、2013年11月から生活保護を受給していました。
2017年12月、自宅で15年以上使用していた石油ストーブが壊れたため、白石区役所に生活保護制度の一時扶助として、新たなストーブの購入費およそ1万4千円の支給を申請しました。しかし「生活保護の開始時に暖房器具を持っていない」等の要件に該当しないことから申請は却下されました。このため男性は憲法と生活保護法に違反しているとして2019年10月に札幌市に処分の取り消しを求めて裁判を起こしました。
今回の裁判で札幌地裁の右田晃一裁判長は「ストーブの使用状況から故障はある程度予測が可能で、生活保護の最低生活費から捻出すべき。申請が却下された後、実際に新しいストーブを購入しているため、一時扶助を出すような特別な事情があったとは認められない」として、原告の男性の請求を棄却する判決を言い渡しました。(以下の記事省略)
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判決で、札幌地裁は買い替え費用は原則、毎月支給される最低生活費で賄うべきだなどとしている。つまりこの判決には、『故障が予測される物品を将来購入しなければならない事態に備えて、保護費を節約して貯金しておくべきだ』という考え方が根底にある。しかしこの理屈が通るのなら、被保護者はあらゆる生活必需品の故障に備えて、少ない保護費を節約し続けなければならなくなる。
本来の保護費というものは、貯金するために支給されているものではないだろう。現実に進行中の暮らしのために使うべき費用として支給されているのが保護費ではないのか・・・。
しかも今回問題になっているのは、北海道の暮らしには欠かせない暖房器具だ。
それは贅沢品でも何でもなく、命を護るために必要不可欠な器具什器である。
原告の男性は持病があるなか、2週間分の灯油で約3か月過ごすなど、身体的・精神的な限界を超えて忍耐をする生活を送っていた。頑張って節約していたのである。そのような暮らしを送っている人に、さらに将来の暖房器具の買い替えに備えて貯金を強いる判決が、「正義」と言えるのだろうか。
判決を下した裁判官も、札幌で暮らしているのだろう。よって北海道の冬の寒さや、その厳しさも理解していると思われるのに、この判決はあまりにも人情に欠けた判決ではないかと思う。
僕は先日、自分のFBでこの判決を不当判決ではないかと書いたところ、札幌市で障がい者福祉に携わっている方が、下記のようなコメントを寄せてくださった。
「一時扶助の家具什器費に暖房器具の項目がありますが、それでも23000円以内で到底足りるはずもなく、オーバーする分は生活扶助費を少しずつ貯めておいて補いなさいとケースワーカーから言われます。北海道の冬を暖房無しで暮らせるとでも思っているのでしょうか。だったら裁判官も同じように過ごしてみたらいい。あまりにもひどい判決です。」
おっしゃる通りだと思う。
判決後に原告側代理人の高崎暢弁護士らは、「札幌市の主張をほぼそのまま引き直した内容。原告や生活保護受給者の厳しい生活実態を無視し、軽視したものと言わざるを得ない」と訴え、「健康で文化的な最低限度の生活を確保できるまで戦い抜く」として近く、控訴する方針を示している。
ここで主張された、「健康で文化的な最低限度の生活」とは、憲法第25条に規定されている生存権保障の規定である。
この生存権を巡っては、有名な朝日訴訟での最高裁による「念のため意見書」が大きく立ちはだかっている。それは、「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合理的な裁量に委されている」というものだ。(参照:憲法25条の責任の担い手という指摘への疑問。)
控訴審以降、この念のため意見も取り上げられた論争になることを期待したいと思う。現厚労大臣の合理的な裁量とは何ぞやということも問われてほしい。
それはなぜかと言えば、タイトルに書いた通り、被保護者が骨身を削って生きるのが、「健康で文化的な最低限度の生活」の法令に照らして問題ないと結論付けられるとしたら、この国の為政者の見識や良識が問われるし、国民の民度そのものが問われる問題になろうと思うからだ・・・。
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