介護は最終的には技術です。そのことに異論はありません。
いくら心を込めても技術が伴わなくては、利用者にとって良い状態は生まれないからです。
心は込めたけれど、やり方が拙くて苦しい思い・恥かしい思い・嫌な思いをさせたけど許してね・・・そんな介護支援はあり得ないし、プロの姿勢ではないのです。
しかし同時にいくら技術があっても、利用者感情を無視して機械的に決められた正しい技術を展開したとしても、利用者の表情は硬く、あるいは乏しいもので終わることも多いのです。
それはなぜでしょう・・・。
それは人は物質的満足を唯一の目的として生きるものではないからです。他者から愛されたり、認められたりする精神的満足も生きるためには必要なのです。
心を込めるという意味は、介護支援という行為を行う対象者に、「精神的満足感」を与えることなのです。
勘違いしてはいけないことは、その満足は私たちの満足ではなく、利用者の方々の満足なのです。介護支援の対象者が、「嫌だ」と言うとすれば、それはいなな行為にほかならず、「そんなことはありません」という言葉は、私たちの満足感の押しつけに過ぎなくなります。それでは困るのです。
だから私たちは、介護を必要としている人たちが、私たちのどのような行為や、私たちが介入したことによる、どのような結果に満足してくださるのかを、常に意識して関わる必要があります。
生きるために、何らかの支援を必要とする人たちの居場所が、冷たい風が吹きすさむ場所でしかなかったら「生きがい」なんてなくなります。
その方々を心にかけて、手を差し伸べるべき対人援助のプロとは、誰よりも温かい手の温もりを届ける人でなければならないはずです。技術があっても冷たい態度で、その技術を提供するだけの人には、利用者は決して心を開きません。
それが介護労働=感情労働といわれる側面の1要素でもあります。

だからこそ私たちには人間を愛するという心・・・そうした感情を介護支援を必要とする人に伝える力も、求められる介護技術の一つだといえるのではないでしょうか。
何の愛情も伝えられない介護は、空しいだけの動作援助に終わってしまうでしょう。そのような冷たい技術は、大事なものが欠けた技術と言えるのではないでしょうか。
本物の介護技術とは、目に見えない心=思いやりとか、あなたのことを思っているのよと言う人間愛を伝える技術をも含んだものではないかと思います。
介護を受けて暮らす必要なる人に、言葉ではなく態度で安心感を与えられるのが本物の介護技術です。
介護を受けて暮らす人を大切に思う誰かに、「あなたの大切な人を、どうぞ私に任せてください」と言葉で示すだけではなく、そのことを介護を行う姿勢で示すことができることが真の技術です。
どうか、そうした本物の介護技術を追求する人になってください。どうぞ、そうやって介護を受ける人と、その人を愛する誰かの心を豊かにしてください。
私たちが求める、介護はそういうものであるべきではないかと思います。
そのように心から思うのです・・・。だから僕は、誰かのあかい花になるための実践論を探し続けるのです。
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経験が浅いうちは、物理的な介護(介助)技術がどうしても未熟になりがちです。
ただ、丁寧な言葉での会話・暖かいお声かけ・笑顔での対応等といった心のこもった接遇は、新人でも分別を弁えている人であればすぐに実践できます。
これは私の個人的な意見ですが、物理的な介護(介助)技術は、場数を踏めば自ずと身に付いてくると思います。
しかし、心のこもった接遇は、自分で意識しないと実践できないままです。
心のこもった接遇ができる職員は、介護福祉の仕事に誇りと責任感を持っている職員だといえると思います。
その手の職員であれば、たとえ現時点では技術面の不足があったとしても、自ら積極的に介護技術を勉強し、よりよい支援をご利用者様に提供できるよう、できる限りの努力をするはずです。
ご利用者様への愛が技術向上の原動力になりますからね。
逆に、接遇が雑な職員は、たとえ現時点では表面的な技術が高く見えたとしても、いずれどこかでボロが出て頭打ちになると思います。
介護に限らずですが、人に接する場面においては、思いやりや暖かいハートを大切にしたいものですね(^-^)
masa
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