対人援助という職業は、自分以外の誰かの人生に深く関わる職業だ。

そんなことは今更言うまでもないといわずに、そのことをもう少しだけ深く考えてほしい。

この職業を通じて関りを持つ利用者の方々とは、もし自分がこの仕事を選んでいなかったならば出会うこともなかった人たちなのである。

つまり対人援助という仕事に携わらなかったとしたら、自分の人生の中で決して交差することのない人が、自分を頼って支援の手を待っているのである。

自分は自らの意思でこの職業を選んだ。それは他の職業に就いたなら関りを持つことのなかった人々の人生に、自らの意思で深く関与しているという意味だ。

それは縁と呼ぶべきなのか、宿命と呼ぶべきなのか・・・。どちらにしても、自らの意思で対人援助という仕事を選んだ以上は、そこで出会った人々の人生に深く関与する責任を果たさねばならない。

人から与えられたのではなく、自ら選んだ道が、自分以外の誰かの人生に関わるという職業だ。そう言う職業を仕事としてではなく、生き方として選んだと思いたい。

介護サービス利用者の側からこのことを考えると、自分の人生に深くかかわる支援者が、どういう考え方の持ち主で、どのような支援スキルを持っているのかということは、支援を受けた後の人生の豊かさに関わってくる問題である。

それだけ支援者の人となりは重要であるという意味になる。

そのような重要な役割を、私たちは好む好まざるにかかわらず担っているのである。

その使命と責任を忘れないでいたいと思う。
キタキツネ
私たちがその使命を果たすためには、結果責任を常に意識しなければならない。

私たちと出会ってしまった利用者の方々の人生が、私たちと出会う前より豊かになるという結果を求めればならない。

そうしないと私たちの存在意義が失われてしまう。もしも出会った人々が、自分と出会うことで不幸になるとしたら、何のために自分は対人援助という仕事を選んだのかわからなくなってしまうのである。

結果を出すためには、日々努力し続ける必要がある。知識や技術を積み重ねるのは、他人の暮らしに深くかかわり、個人の生活空間に深く介入する以上当たり前のことだ。

努力だけでは何の価値もなく、結果がすべての世界だと自覚しなければならない。

やっていることが正しいと思っても、そこに存在する利用者がその結果を好ましく思ってくれるかどうかが問題だ。答案の答えは私たちが出すのではなく、利用者が出すのだということを決して忘れてはならない。

勤勉・真摯・謙虚、そして器の大きさ・・・。それらのどれか一つが欠けていても人の暮らしに寄り添う資格は無い。

売名・不遜・おごり、そして器量の狭さ・・・。そのどれか一つでも私たちの中に潜んでいれば、知識や技術もいつか自分を裏切る。

そういう職業を・・・そういう生き方を私たちは自ら選んでいるのである。その重さや尊さを決して忘れてはならない。
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