特養で92歳の女性を暴行死させ、指名手配されていた犯人は、9/25(日)札幌市白石区のマンション非常階段で逮捕されたが、その後の取り調べで、「20分間くらい暴行を加えた」・「顔を殴り、両腕を折った。反応がなくなり、目を覚ますためにお湯をかけた」・「頭を2回叩いたら、『叩いたな、覚えておく』と言われて殴り殺した」と供述しているそうだ。(参照:夜勤専任者が指名手配された特養の評判とその教訓

余りにも酷い供述内容に、開いた口が塞がらないと感じた人も多いことだろう。

この事件は、9/15夜中から16未明にかけて東京都北区浮間の特別養護老人ホーム「浮間こひつじ園」で92歳の入所女性が殺害されたというものだが、犯人の菊池隆容疑者は、事件当日、被害女性から「痛いところがある」と相談されたのに異状を見つけられず、「馬鹿」と言われて暴行に至ったらしい。

その際に、過去に蹴られたり挑発されたことを思い出し怒りがエスカレートして残虐な殺人事件に発展したものだが、それはアンガーマネジメントがどうのこうのという問題をとうに通り越して、人間性そのものが疑われる残虐性が認められる。

こうした人物は、そもそも人に相対して、その人が他人に知られたくない・見られたくない恥部も全部さらけ出して援助を受けなければならない領域に踏み込んで、個人の尊厳に配慮して仕事をするという適正に欠けていた人ではないのだろうか。

果たして採用時の人材の見極めや、試用期間中の適性判断は行われていたのだろうか・・・。
怒りの感情を鎮めるスキル
被害女性の状況がどうだっかかわかっていないが、認知機能に障害のある利用者は、介護職員の善意の行動を理解できず、攻撃されていると思い込んで、抵抗することがよくある。そのことにいちいち腹を立てていたら介護の仕事は始まらないし、そういう行動が起きた場合、介護職員は自分が支援行為をするに際して説明が足りなかったのではないかと反省するのが普通だ。

僕も介護の場で、自分がかけていた眼鏡を割られた経験を持っているが、それを利用者のせいにしてもしょうがないと思う。自分の行動に、そうした暴力を受ける要素がなかったのかを考えなければ、対人援助のプロとしての成長はないのだ。(参照:介護現場で芽生えた?眼鏡趣味。

50歳で独身のこの犯人は、5年ほど前から介護の仕事を始めたという。浮間こひつじ園では、夜勤専任者として週5回の勤務を行っていたそうであるが、インタビューされた同僚は、「短気な人だった」と評している。

さすれば仕事中に短期な場面がしばしば見られたのだろうし、今回の犯行の詳細がわかるにつれ、その短気な性格は利用者対応にも現れていたのではないかと容易に想像がつく。

仕事中に短気さが見て取れる場面に出くわした時に、管理職なり上司が、その報告を受けてきちんと注意をしているだろうか。

夜勤専任者である犯人に対して、叱ったり注意をしたりすればへそを曲げてやめてしまうことがあったら、夜勤業務が回らなくなるのではないかと、そのことを恐れて必要な注意をしていなかったようなことはないのだろうか。

夜勤専門職ということで、何もかも本人に丸投げして、事務管理部門の人事評価や労務管理がおざなりになってはいなかったのではないだろうか・・・検証しなければならないことは多々ある。

それと同時に、「介護事業におけるサービスマナー意識の向上」ということが、やはり大切なテーマになることを改めて感じる。利用者を顧客として遇する気持ちがあれば、利用者からなじられても、簡単に怒ることにはならず、お客様からなじられるのは、従業員の対応の仕方に問題があるのではないかという意識に繋がって、怒りの感情を抑えるブレーキにもなるからだ。

そしてそうした感情を抑えられない職員がいた場合、職場全体でそうした職員をチェックし、注意するという習慣が生まれるのである。

事件があった特養浮間こひつじ園は、そうしたマナー意識に欠けて、職員同士の態度のチェックや注意が全く行われていない職場環境だったのではないだろうか。

この施設では2020年7月にも派遣スタッフが入所者を小突く事案があり、管轄する北区に虐待と認定されていた。それを受けた職員研修を行っていたというが、それが生きていない実態は、研修内容が職場環境の改善意識に繋がるものではなかったということと、実務に即したマナー研修が行われておらず、形式的なものにとどまっていたということを表している。

虐待防止の意識は、サービスマナー意識が基盤になってはじめて強固になるし、マナーは実務の場で繰り返し注意を行ってはじめて身に付くのだ。それができていなかったのではないか・・・。

というのも、昨今の介護施設では人材不足の施設に限って、今いる職員は辞めることを恐れて、「叱れない施設」・「叱ることを恐れる上司」が増えているからだ。

しかし叱らないことで、働き続ける職員とは、決してスキルが高いとは言えず、そこに有能な介護職員が張り付くことはない。有能な職員ほど、職場環境の悪さにあきれてやめてしまうことが多い。叱ることができない介護施設で、職員が充足したという話は聞いたことがないのである。

そもそも叱ることと、怒ることは違うのである。感情をぶつけるのが「怒る」、相手を良い方向に導くのが「叱る」である。

「叱る」のは、相手をより良い方向に導こうとするために注意やアドバイスをすることである。つまり「叱る」という行為は教育課程では避けて通れない行為なのである。

それができないということは適切な人材教育ができないという意味でしかなく、そうした事業者に良い人材が張り付いて定着することはなく、人材確保はますます難しくなり、人材の囲い込み競争の中で敗北し、廃業するしかないという道をまっしぐらに進んでいるとしか言えない。

そういう職場からは、賢い職員は一日も早く離れることが、自分を護る一番の方法である。

自分の職場はそうなってはいないかを確認したうえで、「処遇改善最上位加算を算定し手渡さない事業者には見切りをつけよう」も参照にしながら、自分の将来というものを真剣に考えてほしい。

それにしても、虐待認定とその改善指導を受けたにもかかわらず、その教訓が生かされず、施設内で勤務中の職員が残虐な暴行死事件を起こしたこの施設は、看板を掲げたまま出直しを図ることが許されるのだろうか・・・。

それはあまりにも甘い対応だろうと思えてならず、僕個人としては、看板を下ろして廃業を選ぶのが道義的責任を果たす唯一の道だろうと思うのである。
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