このブログに先日書いた、「鱗雲とケアマネジメント」という記事が、Livedoor編集部の「推し」に掲載された。これを機会に介護業界とは関係のない人にも、介護問題に興味を持っていただければありがたいことだ・・・。
それはともかく本題に移ろう・・・。
僕が管理する表の掲示板に、昨日恐ろしい書き込みがされた。こちらのスレッドの No.3 のカズという人による書き込みを読んでいただきたい。
コメント主は、特養におけるコロナウイルス感染症対応に関するスレッドの中で、「延命措置、治療を望まないとされる方がおられた場合、看取りではないので、どのような取り交わしが必要なのでしょうか?」と質問している。
つまり看取り介護の対象ではないにもかかわらず、新型コロナウイルス感染症に罹患したという理由だけで、延命を望まないとされた方を、その希望通りにするという意味にしか取れない質問だ。
しかし新型コロナウイルス感染=終末期ではない。そんなことはあり得ない。
よって延命しないという希望が、本人による希望だとすれば、我が国では認められていない、「安楽死」でしかない。そして延命しないという希望が本人ではなく家族の場合であれば、「殺人依頼」あるいは「殺人教唆」である。
どちらにしても犯罪である。質問者の特養では、日常的に殺人という犯罪を行っているということか・・・と非常に心配した。
しかし今朝No.5の書き込みがあって、そうではなく心停止時の心肺蘇生を実施しないことの事前確認という意味だということが分かった。
心停止の状態は、本人の力で元の状態に回復することが期待できない状態なので、医師の判断で蘇生処置を行わないこともあり得るし、家族の判断で、「そこまでは必要ない」という判断と決定も許されるだろう。
だからと言ってコロナ対策として、特養における感染者全員に、あらかじめ確認しておくような問題ではない。治療過程で差し迫った状況で、医師や家族が話し合って総合的に判断する問題である。
よってそのような誤解を受ける書き込みをするという行為自体、軽率・不謹慎の誹りを受けても仕方のない行為である。
当該掲示板は介護関係者のみならず、要介護者の家族等もたくさん見ている掲示板だ。介護のプロでない人があの質問を見て、「特養とはなんと恐ろしいところだろう」と感じなければよいがと思った。
どちらにしても迷惑な書き込みである。
ここで改めて強調しておきたいが、看取り介護の対象となるべき、治療をしないという判断ができる対象者とは、「医師が一般に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者」である。
そのため看取り介護の開始に際しては必ず医師による終末期判定が必要になるのである。
新型コロナ感染症の場合は、死亡する人も多いけれど、重篤化してもエクモなどの医療機器を使うなどして回復する例も多い。
つまりコロナウイルス感染症患者に対する医療対応とは、延命措置ではなくて回復可能な病状に対する治療である。
そうした通常治療を途中でやめるようなことはあり得ないのである。それをしない場合は殺人であり、犯罪行為でしかなくなるのである。
しつこく繰り返すことを恐れずに書くが、感染症の治療や介護に関わる人に感染リスクなどが生ずることを盾にして治療を行わないということはあり得ないのである。

そもそも看取り介護とは、この世から旅立たざるを得ない状態になった方を、旅立つ瞬間までこの世に人として生まれた尊さと喜びを感じ取っていただくためのケアなのである。
そこに関わる人々は、何よりも命の尊さを思う人たちのはずだ。見捨てられてよい命などないと思う人たちが、命の期限を切られた方の最期の時間を大切にしようと関わる行為が、「看取り介護」である。
軽々しく命を見捨ててよいかのような軽率な質問をネット掲示板に書き込むような人が、命の期限を斬られた人に対し、最期の瞬間までその命が最大限輝けるような支援をできているのかが非常に心配された。
そうではないということなので、それを信じたいと思う。
メディカルサポネットの連載、菊地雅洋の激アツ!介護経営塾 〜選ばれる介護事業所であり続けよ〜の最終回は、「どうなっていく?介護事業の未来」です。こちらも是非参照ください。

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