介護業界には、対人援助のプロとしての態度に徹することができない「ど素人」が、でかい顔をして居座っているという事実がある。

そういう連中に限って自分勝手な屁理屈でしか動かず、人の意見にも耳を貸さず、都合の悪い考え方には批判に終始するだけの輩が多い。

労務管理なんていう言葉やその意味も知らずに、職場のルールさえも、「価値感の押しつけ」と無視して、自分勝手な考え方と行動しかできない輩がいる。しかしそんな輩の考えとは、知性にも欠け・知能指数もかなり低いレベルでの考え方でしかない。

そのためそれらの輩は、周囲から見ると滑稽極まりない姿でしかない。

対人援助場面で利用者に対する不適切な言葉遣いを直すことができない輩は、その典型例である。

18日に、「利用者を何と呼ぶべきかという問題」という記事を書いて、介護のプロは利用者を、「お父さん・お母さん」と呼んではいけないと書いた。

ところが、その意味を理解できない頭の不自由な輩が、「言葉狩り」だと批判している。

そのような低能者が、常に介護の現場から、「タメ口対応」をなくさせない元凶になっているのである。でかい態度のわりには、情けない知識しか持ってない連中が、でかい面をして跳梁跋扈している介護事業者が、「介護の常識は、世間の非常識」という状態を存在させ続けているわけである。

そもそも言葉狩り(ことばがり)とは、「不当な要求をして特定の言葉を遣わせないようにする事」である。

僕が書いた18日の記事は、「お父さん・お母さん」という言葉自体を遣わせないようにする呼びかけではなく、介護のプロが利用者に対して、業務中にそのように呼びかける態度を改めるように促すものだ。

だから僕の主張は単なる、「言葉狩り」とは言えないのである。

それさえも理解できない低能者が、言葉狩りの意味さえも十分に理解せずに批判しているのである。

それは正論に対して、論理的に反論するのではなく、感情的に悪口で返しているに過ぎない。こうした輩は建設的議論なんて一生できないのだろう。それはまるでガキの態度だ。

こういうガキが、介護業界から排除されなければ、いつまでたっても介護の職業は世間様からすべからく認められる職業にはならない。

利用者の暮らしに深く介入せざるを得ない対人援助職・介護職にとって、最も重要なスキルはコミュニケーションスキルである。その中でも自ら発する、「言葉の力」は重要である。
言霊
言葉の選択に注意を払っていかなければ、いたずらに人を傷つけかねないのが、介護という職業の宿命でもある。

言葉を大事にできない輩や、適切な言葉の選択や言葉遣いができない輩は、介護の仕事を続けるべきではないのである。一日も早く介護業界から退場して、私たちの目の届かない場所で別の仕事をしていただきたい。

コロナ禍をきっかけにして、世間はせっかく介護職をエッセンシャルワーカー(社会機能維持者)と認め始め、介護労働とは人々の生活にとって必要不可欠な労働であると言われ始めたのに、それも単なる建前とされてしまうことになり、本音では、「誰でもできる、同でも良い仕事が介護労働」と言われてしまいかねない。

それもこれも全て問題の本質を理解できない知能の低い人間のせいである。自分の態度を批判されたときに、それを改めようとする努力もせず、「言葉狩り」というピント外れな批判しかできない知性の欠片もない介護職員のせいなのである。

そういう輩を無視するのは簡単だが、その醜い姿や恥ずかしい言動を指摘してやることもある種の優しさだろう。

本当に僕はなんて人が好いのだろうか・・・。

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