生まれて以来、ずっと平和な日本で暮らしている自分にとって、戦争は現実世界とは思えない出来事だ。

リアル映像で本物の戦争の動画を見ているときも、バーチャル映像を見ている感覚に陥ってしまうこともある。

しかし今、ウクライナでは本当の戦争が行われ、悲惨な殺戮が毎日繰り返されている。そこでは罪なき人々が命を失い、大切な人をなくし、尊厳や心を奪われている。戦争は不幸しか生まないと心の底から思う。
戦場の子供たち
だからと言って僕が何かをできるかと言えば何もできないのが現実だ。勿論、戦火で傷ついた人たちに贈る目的の募金等には協力することはあるが、それとて思いついて機会があった場合に限られている。

僕の現在のほぼすべての日常は、自分が住む星の上で戦争が行われていることも忘れ、自分の暮らしを営むことに精いっぱいであり、何かの拍子に戦場に思いを寄せることがあっても、ただ祈ることしかできない。本当に無力である。

僕のように考える人はたくさんいるのだろうと思う。そんな中で自分が何かできることがないかを考えて、ある日千羽鶴を折って戦地で悲惨な状況にある人に贈ろうと思い立った人がいる。

それに対して一部から批判の声が挙がっている。そのことに対する僕の思いを昨日、SNSでつぶやいた。それはどんな内容かといえば以下の通りである。
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2ちゃんねる」創始者のひろゆきさんが、日本からウクライナに千羽鶴を送ろうとしている団体に対し、「千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である。』というのをそろそろ理解して貰いたいと思ってるのは、おいらだけですかね?」と痛烈に批判しましたね。

確かに災害時に折り鶴を送られた側が迷惑をこうむった例などがありますから、お金や使える物資を送る方が良いのでしょう。ただこの問題を突き詰めると、「気持ち」「思い」なんて目に見えないものは不必要というところに行きつきますね。それって世界を暗くする要因につながるのではないでしょうか。難しい問題です。
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これに対して、SNSに複数の人がコメントを寄せてくださった。そこでは千羽鶴を送ろうとする行為に肯定的な意見も、否定的な意見も両方存在している。

それは極めて正常な反応だろうと思う。どちらが良いと白黒つけられる問題でもないし、白黒つけるべき問題でもないと思うからだ。

僕自身は、『どうせ贈るのなら、戦火を受けた場所で必要な実用的なものやお金を贈った方が良い』と考える人間だ。しかしSNSにも書いたように、「気持ち」「思い」も大事だと思うので、千羽鶴を送って心を届けようとする人を批判する気持ちは全く持っていない。

特に「海をわたった折り鶴」のエピソードを知る人なら、戦場に千羽鶴を贈る気になるというのも十分理解できることだ。

僕はお金を贈るのが良いと思うけれど、あなたは鶴を通じて心を贈りたいのだから、その行為にもきっと意味があるし、そのことで心が癒される人もいるのかもしれませんね。そう考えて悪いというのだろうか・・・。

ましてや千羽鶴を送ろうとする人を罵倒し、さらにネット上でさらし者にして、深く心をえぐり続けるような行為については不快感しか感じない。

千羽鶴を送る行為をたしなめるにしても、もっと優しく指摘する方法があるだろうと思う。

僕も自分が管理する情報掲示板では、かなり厳しい指摘をして、時には罵声を浴びせることはあるが、それは対人援助のプロとしての情けない姿勢に対しての場合だけである。

自分の飯の種である専門職業に関して、勉強不足丸出しの知識のない姿勢、甘えた考え方には強い言葉が必要だと思う。

しかし専門家の存在しない善意の場所で、自分と価値観が違う人の行動を、上から目線で攻撃するのはやり過ぎだと思う。特に社会に名の知れた人がそのような罵声を浴びせると、それに乗っかって攻撃にかかる輩が、調子に乗って人権侵害ともいえる行為に走ることがままあり、そのような行為は慎む必要がある。

そもそも戦場で傷ついたり、不安な思いを抱えている人を応援しようとする人なら、理路整然と説明すれば、事の善悪の判断はつくはずだ。

現に鶴を折った人で、それを大変な状況の場所に贈っても処置に困るだけだとたしなめられた結果、折り鶴を贈ることを思いとどまり、別の支援策を模索している人が居るのだ。

何もネット上で厳しく個人攻撃する必要はなく、そういう行為をとろうとする人がいるが、それはかくかくしかじかの理由で思いとどまった方が良いと、意見発信するだけでよいのではないかと思う。

善意の行為が、他者から見て的を射た行為でないというだけで、ネット上でさらし者になって糾弾される社会も、戦場と同じように怖い場所だと思う。

なぜならそこは優しさがいらない、争いだけの場所だとしか思えないからである。僕はそんな場所に居たいとは思わない。

人と人が支えあってこそ社会は成り立っているのだから、人と人をつなぐ『』をもう少し大切にしたい。

目に見えない『思い』を大事にして、生きて行きたい・・・。
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