2019年と2020年の死者数は、2年連続で前年死者数を下回っていた。
これはコロナ禍による巣ごもりの影響が大きく起因していると思え、死因別では肺炎による死亡者数が大きく減っている。このほか季節性インフルエンザの死者数も減っている。
しかしこれはあくまで一時的な現象であり、人口減少社会の中で後期高齢者が増え続ける我が国は、過去に経験したことがない多死社会を迎えることは確実である。コロナ禍による死者数の減少の反動も懸念されるところだ。
現に2021年の死者数は145万2289人となり、前年比で6万7745人増えて戦後最多となっている。この数はもっと増え続け、2030年には死者数が約160万人に達する見込みである。
そこで問題となるのが、「みとり難民」と呼ばれる状態で亡くなる人が増大することだ。
しかし、「みとり難民」とは、死の瞬間誰も側にいない状態の人を指すものではなく、死に至る過程で適切な支援を受けられずに、人としての尊厳を奪われた状態で死の瞬間を迎える人のことを指すのである。
逆に言えば、死の瞬間誰かが側にいたとしても、そこで適切な支援を受けられずに、見捨て死のような状態で死に至るとしたら、それも「みとり難民」と呼ばれることになるのである。
だからこそ私たち介護関係者は、ただ単に「看取り介護」を行って加算報酬を得るということを目的化するのではなく、私たちの周囲に、「みとり難民」が生まれないようにするために、終末期を過ごす人の特徴的状態像や、そこですべき支援の具体的方法を学んで、終末期診断を受けた方が最後の瞬間まで人としての尊厳を失わず、不安に打ち震えることがなく、終末期を過ごす人々が安心して安楽に過ごすことができるための知識と援助技術を獲得する必要がある。
それが看取り介護研修を受ける意味である。
例えば、看取り介護を行っていない特養の方に話を聴くと、利用者の死の瞬間に立ち会う介護職員について、何をしてよいのかわからず、不安を抱える職員が多い中で、看取り介護の実践を強制できないし、そんなことをしたら職員が辞めてしまう恐れがあるという人がいる。
しかし施設内死亡者が年間ゼロという特養はないわけだから、その特養でも予期せぬ死を迎える人がいるわけである。その時の介護職員の対応と、看取り介護を実践した末の死の瞬間の対応に違いがあるわけではない。
むしろ看取り介護では、死が訪れる時期が迫っていることを意識したなかで、心の準備もでき、死の瞬間に備えた様々なエピソードを刻むことができるのだから、不安は少なくなるし、介護という職業の使命を強く感じ取ることができるようになる。
つまりそうした不安とは、看取り介護とはどのような介護を指すのかという施設内コンセンサスが不十分な状態で、介護職員の役割とは何であり、看取り介護の中で何をすべきかという具体例を示していないことに起因した不安である。
そして看取り介護・ターミナルケアとは、「介護実践」そのものであり、医療行為や看護が求められているわけではないということを、きちんと説明していないことも問題だと思う。
看取り介護対象者の方が、死を迎える瞬間に、医師や看護職員のいない場所で、僕一人が立ち会った時にできることはあるだけではなく、しなければならないことは僕一人でもできることだということをしっかりと伝えていないから、持つ必要のない不安を抱えた介護職員が、看取り介護の実践に消極的になってしまうのである。
すなわち看取り介護の実践で、職員の定着率が下がる施設は、本物の看取り介護を行っておらず、本物の看取り介護を行うための看取り介護教育が行われていないという意味なのである。
この不安をなくすための、「本物の看取り介護研修」を行う必要がある。そこではどのようなことを伝える必要があるのだろう。・・・そのことは明日の更新記事で詳しく解説することにしたいと思う。(※後編に続く)
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前述したように、看取り介護は死の瞬間だけを指す介護実践ではなく、終末期診断を受けた人が、それ以降死に至る瞬間まで『生きる』ことを支える介護である。