僕がギターを弾き始めたのは中学1年生の時である。
時は1972年・・・時代はまさに70年代フォークソングの真っ盛りであった。
ちょうどその時期、岩手県の一部地域で人気を博していたフォークグループがいた。天野滋・中村貴之・平賀和人(※下記画像の向かって右側からの順番)の3人で結成されたNSPである。
リーダーでありメインボーカルであった天野滋さんの出身地である岩手県一関市をはじめとした同県南部地域では、その人気はビートルズを超えるとも言われていた。そんなNSPについて僕がくどくど説明する必要はないと思うので、張り付いた文字リンクを参照いただきたい。
NSPがメジャーデビューし、『さようなら』が大ヒットしたのが1973年。僕は中学2年生になっており、彼らのヒット曲を教本にして、ギターの演奏技術を高めるべく毎日のように友達と一緒に弾き語っていた。
その後長い期間、僕らはNSPの唄と共に青春を過ごしたといってよい。それだけギターとフォークソングは僕らの身近に存在していた。
しかし僕も大人になって、残念ながらシンガーソングライターにもなることはできず、平凡な叔父さんになっていく過程で、いつの間にかギターを手にすることもなくなった。
そんなふうにして、いつの間にか僕の日常からギターもフォークソングも遠いものとなっていった。そしてNSPも思い出でしかない存在になっていき、グループが解散〜再結成などの歴史を経ていっても、そんな出来事は僕とは無縁の問題となっており、僕自身も平々凡々とした日常を過ごしていた。
そんな時に、NSPの思い出を振り返るきっかけになった出来事が、リーダーでありメインボーカルであった天野さんの「闘病死」のニュースに触れたことだった。
2005年7月5日に、大腸癌で闘病中だった天野滋さんが、療養中の病院で脳内出血を発症し、52歳という若さでこの世を去ったのである。
その時に久しぶりにNSPの楽曲を聴き、学生時代の懐かしい思い出に浸った思い出がある。
ただ天野さんの死後も、中村さんと平賀さんの二人でグループ活動は続けられており、折しも沖縄では1970年代を彷彿させるフォークブームが起きたりして、お二人の活動の報に触れる機会もあって、懐かしく思ったり、勇気をもらったりしていた。
そんな中で、昨年2021年11月27日には、中村貴之さんも68歳という若さで肺がんでお亡くなりになるという訃報に触れた。これでメンバーはベース担当の平賀さんだけが残っているだけになった。
そんなこともあって、最近またしてもNSPの楽曲を、ユーチューブで聞く機会が増え、懐かしがっている。
おしゃれでかっこいい現代の楽曲とは、はっきりと違いがあって、どこか泥臭さが抜けない昭和のフォークソングがやけに懐かしく思う。
それもこれも僕自身が年を取った証拠だろうし、人生も後半に入っていることを嫌が上でも実感させられるのである。そもそも僕は既に天野さんより9年も長く生きている・・・。いつ人生の終わりが来てもおかしくはない年になった。
僕が死んだら葬送曲はNSPの楽曲にしてもらおうかな・・・。そんなことをチラッと考える年になっているのである。
ちなみに上に張り付けたユーチューブで聴くことができる楽曲の中にも入っているが、僕は「北北西の風」が好きである。
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