昨日の更新記事、「そこに春はやってきますか?」に関連して表の掲示板に、「皆さんの周囲の介護施設等の面会制限の情報を教えてください」というスレッドを建てて、情報提供を呼び掛けているので、是非ご協力をお願いしたい。
同時にそこに書き込まれた面会制限の継続もしくは、その解除に向けた取り組みを参考にして、それぞれの居住系施設で対応のあり方を、事業者内で議論していただきたいと思う。
さて話は変わって今日の本題に移ろう。もうすぐ新卒者が介護事業者に入職してくる時期になった。
そこでは介護実務に就く前に、様々な形で職場内研修が行われることになろうと思う。
その際に介護事業者の中で、新入職員等を指導・教育する立場の人に、指導者としての適性がなければ人は育たないし、優れた人材が定着することもなくなってしまう。
そういう意味で経営者や管理職には、従業員の中から指導・教育を行う人物としての適性のある人を見極め、有能な人材にその責を負わせることが重要な役割になってくる。
ではどのような人物が、「教育・指導役」として適性があるのだろうか。
勿論、介護実務に必要な介護技術を教える人には、技術指導ができるだけの介護の基礎知識と基礎技術が備わっていなければならないし、教えなければならないことを、根拠を持って言葉で伝えるコミュニケーションスキルも必要だ。
しかしそれ以前に、「教育とは何ぞや。教えるとはどういうことなのか。」という根本を理解し、その本質を貫くための、理念を持っていなければならないと思う。
例えばできないことを責めることが、「教育・指導」と勘違いしている人がいる。こうした人物は、「教育・指導役」としては不適格である。
往々にしてこうした人は、人を叱ることと、怒ることの違いを理解していない。そのため自分の感情の赴くままに、指導する相手に怒りをぶつけて終わってしまう人が多い。それでは指導・教育とは言えないわけである。
指導を受ける側が、教えたことができない原因は何かということを共に考え、できない原因にアプローチして、できるように導くことが本来の、「教育・指導」ではないかと思う。
当然できないことをできるように導く過程では、「叱る」という行為も必要になる。この部分で「叱ったら、すぐ辞めてしまっても困るし」と躊躇して叱れない人も、「教育・指導役」としては不適格である。
適切に叱ることができることも指導者・教育者のスキルのなのである。
その延長線上には、適性の欠如で「できない」というケースもあって、できない原因がそれであると結論づけた場合は、「対人援助という職業の適正に欠けますね。他の職業を探したほうがあなた自身のためです」という評価と導きがあっても良い。
いやむしろそのような指導が不可欠であるといっても良い。
適性のない人をダラダラと引っ張り続けていることによって、介護事業者の中で信じられない虐待行為が発生したりする。

一昨年、神奈川県伊勢原市の介護施設で高齢女性が相次いで首を絞められ意識を失った事件は(被害者はその後回復)、今月に入って取り調べを受けていた当時49歳の元介護職員が自殺し、その後、この女を犯人と断定し書類送検されたことで幕が引かれた。
事件の原因は、犯人のストレスであると論評する声がネットにあふれているが、仕事のストレスで寝たきりの人の首を絞めて殺そうとするだろうか?
犯人が亡くなったことで、動機の解明が不可能になったが、こうした犯罪は単なるストレスではなく、異常性格などに起因しているように思えてならず、採用後の適正評価は不可欠であるといえる。
だからこそ介護事業経営者や管理職は、「介護という職業は、誰しもが教えさえすればできるようになる職業ではない。」と自覚しておかねばならない。
教育効果に過度な期待を寄せることなく、人材育成とは、人材の見極めを含めた問題であることを正しく理解したうえで、そうした視点を併せ持つ優れた指導・教育担当者を創り出していく努力が欠かせないのである。
そうした観点から、今一度自分が所属する事業者内の人材育成システムを認めなおしてほしいものである。
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