世の中どこもかしこも、「生産性の向上」がスローガンとして掲げられて動いている。

介護業界でも、6月から厚労省が生産性向上の効果測定を介護施設で行うことが決まっている。見守り機器・介護ロボットの導入と、それに伴うオペレーションの見直しや、介護助手の活用などによる効果を実証するというのである。

確かに労働人口減少に伴って、働き手を確保するのが難しくなっている我が国では、一人一人の仕事における生産性の向上は求められることではある。

より少ないインプットで、より多くのアウトプットを出せるようになれば、人が足りない現場では、今より少しだけ業務が回るようになるかもしれないからだ。

ただしここで間違えてはならないことは、「生産性の向上」と「業務効率化」はイコールではなく、相関関係もないということだ。

労働生産性は、「従業員1人あたり(または1時間あたりの労働)によって生み出される成果」であり、生産性が「投入した資源に対してどれだけの成果を上げることができたか」を意味するのに対して、業務効率化は「非効率に行われている業務のやり方を改善し、より効率的に行えるようにすること」を意味する問題である。

生産性が上がらない理由と、業務が効率化しない理由はそれぞれ異なる場合もあり、生産性が向上すれば業務が効率化できるという論理は、必ずしも成り立つものではないのだ。

よって、財務省が介護の場でICT活用をはじめとして、新たなテクノロジーのフル活用をすることによって業務の効率化を促進して、人員配置基準を削減すべきだとする論理には大いなる欠陥があるということだ。

介護労働の生産性を向上させることは必要であるし、同時に業務の効率化も進めていくことも必要ではある。そのこと自体は決して否定できない。

しかし対人援助における生産性の向上の恩恵と結果は、利用者に対するサービスの質の向上につなげるという方向で考えていかねばならない。
介護労働の本質
生産性の向上を、業務負担が減るという介護労働者側の恩恵とメリットを中心に考えてしまえば、利用者ニーズを無視した機械的対応で、介護サービスにかける時間を減らす方向からしか物事を考えなくなる危険性があるからだ。

そこでは認知症の人が繰り返し同じ訴えを行っていたとしても、記憶障害で何度も同じ訴えを繰り返しているのだから、いちいちその訴えに耳を傾けるのは意味がないことで、介護労働の生産性の低下につながるとして、徹底的にその声を無視することになりかねない。

しかし短期記憶が保持できずに、同じ訴えを繰り返す人にとって、その訴えに耳を貸してくれる人がそこに居るということ自体が安心感なのである。その行為は記憶できなくとも、感情は小脳に残るので、訴えを繰り返し聞いてくれる誰かは自分にとって安心できる人という認識はできるようになり、その人がいるだけ行動心理症状(BPSD)は軽減されるのだ。

生産性の向上を人員削減に結びつける場所では、こうした介護の本質ともいえるケア方法は消滅してしまうのである。それはあってはならないことだ。

介護の場における生産性の向上とは、質の高いサービスの提供を行うことが出いるという、職業の誇りにつなげていかねばならない。それにプラスして職員の負担軽減が実現されるのであれば、介護の職場環境が良くなっているという介護労働のイメージアップにつなげることができる。

その結果、介護の仕事をしてみたいという動機付けを持つ人が増えることで、介護従事者の数を増やすことにつなげることが重要である。

つまり真に必要なこととは、介護の生産性の向上によって、介護事業者の人の配置を適正レベルまで増やそうという結果なのである。財務省の考えとは真逆のことが求められているのだ。

そのためには同時に、介護実務の教育の生産性を向上させる必要性にも気が付くだろう。明日はそのことを論じてみたいと思う。(明日に続く)
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