対人援助に関わる人のスキルとして最も重要なものは、「想像力」と「創造力」という、「2つのそうぞう力」だと思っている。
考えることを怠ける人、考えるだけで実行しない人は、対人援助の仕事に向かないのだから、何か別な職業を探したほうが良いとさえ思うのである。
そんな対人援助という業務に携わるうえでの僕のモットーの一つは、「制限は馬鹿でもできる」・「可能性探しは専門職の大切なスキル」である。
介護業界には、想像力に欠け何も創り出せない人も少なくはないことも事実だ。しかもそういう人はネガティ思考で、「〜しない」理屈を、「できない理由探し」から考える傾向があるように見える。
可能性を探せないから、自らの行動にも制限をかけているのである。
夜間の入浴支援や、週2回しか行わない入浴支援を毎日に変える提案をしても、「利用者全員がそれを望んだら対応できない」というあり得ない想定で反対したり、「人員不足」を理由に反対するだけで、工夫を全くしようとしない姿勢に終始する人は、果たして介護の仕事にやりがいを感ずることができるのだろうか。
利用者に対して、「ため口対応」をやめて、丁寧な態度で接しようとする呼びかけに、「忙しくて、とてもそんな余裕はない」という屁理屈にもならない言い訳もされたりする。やりがい云々の前に、やる気があるのかという問題だ。
人間は様々な可能性を持つ存在なのだ。

僕たちにももっとできることがあるし、利用者の方々にも隠された能力はたくさんあるはずだ。両者の可能性を信じて、「できないこと」ではなく、「できるかもしれないこと」を考えたときに、初めて視野が広がり、すべきことが見えてくるのではないだろうか・・・。
そして、そこに生まれる暮らしの質は違ってくるのではないのだろうか。
10年以上前に書いた、「暮らしの場での制限は最小限に」という記事の中で紹介した〇さんは、当時80歳代の後半の方であった。
その記事に書いたように、僕たちは食べることが大好きな〇さんの希望を最大限に尊重するには、何ができるのかということを一番に考えた。
糖尿病という持病をお持ちの方であるのだから、食事療法としての食事制限は必要なことは承知したうえで、だからと言って杓子行儀な対応でよいとは考えなかった。制限が必要であるからこそ、制限の中で最大限に許される例外探しをあきらめなかった。
できないことを前提とする介護はしたくなかったのである。
その〇さんは、僕がその施設を退職したときには、まだお元気だったであったが、先日元の職場の部下から、彼女の訃報を受け取った。
長年暮らした施設で、「看取り介護」を受けた〇さんの最期は、家族や職員に見守られて安らかだったそうである。享年95歳・・・。大往生と言ってよいのではないだろうか。
仮に〇さんが施設入所する前に入院していた医療機関から指示された通りの食事制限を行っていたとしたら、〇さんはもっと長生きができたのだろうか。しかしそれが〇さんの望む暮らしではなかったであろうことは、容易に想像がつく。
希望を最大限にかなえようと、周囲の人々が心を合わせて制限を最小限に絞る工夫を20年近く続けてきた結果、看取り介護になる直前まで〇さんは、好き物を食べ続け、95歳という年まで生きることができ、天寿を全うされたのである。
できることを探し続けた介護によって、それは実現できたことなのだ。そのような介護の方法は、教科書にも載っていないし、今後LIFEのフィードバックで示すことができる方法論でもない。
僕たちが利用者に真剣に向かい合って、僕たちの支援によって生活の質が左右される責任を重く受け止め、対人援助のプロとしてそこで果たすべき使命を全うしさえすれば、介護は必ず人に幸福を運ぶ行為になるはずだ。
介護とは、心にかけて護る行為なのだから・・・。
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