介護事業に長年携わっておれば、そこで刻んだ様々なエピソードの中に、人に語れば感動される話なんて山ほど手に入れることができる。

だけどそれが何だと言いたい。

僕たちが求められているのは、利用者の方々の日常支援である。介護を必要とされる方々が、「ごく普通の暮らし」を送ることができるように、支援の手を差し伸べることなのである。

心身に障害を持つ人は、「普通の暮らし」を送ることに支障を来すような様々なバリアに向かいあっている。そのバリアを取り除いて、暮らしを送るための不便が生じないようにアプローチすることが何より大事である。

そうした日常を創り出したうえで、そこに感動的なエピソードが加えられるとしたら、それは歓迎されるべきことだろう。

しかしそうしたエピソードを創り出すことを目的化してはならないのだ。それはあくまで日常のケアの品質を高めた結果として生まれるものでしかない。

むしろ感動的なエピソードの影で、哀しみや苦しみ、痛みや不安に震えている人がいないかということが問題なのである。

誰かの悲嘆の上に積み上げられる感動なんて何の意味もないのだ。

僕たちがどんなに努力しようと、僕たちが向かいあう全ての人を一斉に幸せにしたり、笑顔にしたりするなんてことは出来ない。けれども僕たちの目の前にいる一人一人の哀しみや苦しみ・不安に寄り添うことは出来るはずだ。

哀しんでいる人や苦しんでいる人の傍らに寄り添って、そこから抜け出すには何が必要かということを考え続けることが必要だ。やがてその人たちが笑顔になれるとしたら、そこで僕たちも一緒に笑い合えばよい。

生活支援とはそういうことの繰り返しなのである。特別なことより日常を大切にしなければならないのが、「介護」なのである。そしてそれこそが対人援助の本質といえるのだ。

しかし、「人はパンのみにて生くるものに非ず」ともいう。日常を淡々と創り出しながらも、心弾む機会も創っていきたいと思うのは当然である。

特別な日やイベントは、人の心に潤いを与える大切なエピソードでもある。

だがそこでも勘違いをしてはならない。介護サービスを利用している人を、全員集めて行うイベントを、すべての人が愉しむことができるなんていうことはあり得ないのだ。

好みの問題を別にしても、その時に置かれたその人の状況によっては、愉しむ余裕もなく、愉しめる気持ちになれない人もたくさん居られるのである。

そうした人を無理やり人が集う場所に引っ張り出しても、心身の活性化なんてできるはずがない。

だからこそ何かに参加しないという権利もしっかり護らねばならない。

皆が集う場所に楽しんで参加できない人がいるとしたら、その理由を探り、その人にあった別の活動を探したり、作ったりすることも大事である。ポケットの中に一つの道具しか入れていないのでは選びようはないが、ポケットの中身を増やして、利用者の選択肢を広げることが介護支援者には求められるのだ。

だが人によっては、参加しない理由を詮索されることさえ嫌う人がいる。その思いも受容しなければならない。

自分ではない第3者の暮らしに深くかかわる仕事ということは、そうしたデリケートな思いにも気を配らねばならない仕事なのである。

そもそもQOLとは、いやな活動に参加しても向上することはない。その当たり前のことを忘れずに、それでもなお、「暮らしの潤い」を求めて一人一人の心持ちに思いを寄せ、工夫のための知恵を傾けるのが私たちの仕事である。

そうした精神作業が伴う介護という仕事に、誇りをもって取り組んでほしい。そのことが一条の光となって誰かの心に届くことを、それが希望というものになるということを信じて、「あきらめない介護」を続けてほしいと心から願う・・・。
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