介護という文字を紐解くと、介とは心にかけるという意味を持ち、護は云うまでもなく護るという意味である。
だからこそ介護という仕事は、単なる動作介助に終わることなく、行為そのものを手助けして、個人の暮らしの質を、心にかけて護ることが求められる仕事である。
そうはいっても現代社会において、介護事業は数ある職業の一つに過ぎない。対人援助に対する志を高く持った人だけが、そこに就職してくるわけではないのである。
しかも介護という行為は、機械が人に替わることができない部分が多く、必然的に多くの人手が必要になる。だからこそ介護事業では常に人手不足で、たくさんの募集が出され、そこに応募してきた人間は、スキルに関係なく貴重視され雇用される傾向が強い。
その中には人に対して思いやりを持つことができない、対人援助という仕事に向かない人も多々含まれることになる。そしてそこには教育の手が届かないどうしようもない人材の残骸も含まれているのである。そういう人も淘汰されずに残ってしまうというのが介護事業の現状でもある。
そもそも仕事を求めてたまたま介護事業者に就職しただけで、そこで教えられた業務をこなしているだけの人に、利用者を心にかけて護れと言われても、その意味さえ理解できないのは当然と言えば当然でもある。
だがそのことを嘆いてもしょうがない。そのような人罪を選別して、人材を育て人財を創り上げている事業者もあるのだから、そうした事業者の存在とノウハウを伝えて、そちらの方向に介護業界全体が向かうことができる指標を示すのが僕たちの仕事でもある。
所詮、きゅうりは茄子には育たないのだから、すべての人が介護人材としてふさわしい仕事ぶりになるなんて幻想を抱かず、介護実務に従事する人のマジョリティは、対人援助のプロとしてふさわしい仕事ぶりであるというふうにしていきたい。
そのために全国の介護人材と繋がりあって、情報交換し合ったりしているが、志を同じくする人々に勇気をもらったり感心させられたりして、僕のモチベーションは維持されている。
家族や友人は勿論のこと、そうした繋がりあっている仲間の存在と、常に静かに見守ってくれているこのブログの読者の存在によって、僕はものを書いたり、話をしたり出来ているわけである。
つまり僕はそうした人々や、僕の周囲の環境によって『生かされている』ということになる。
繋がりのある方々からは、常に様々な刺激をいただいている。それは自分の本質的部分での変化や成長を求められるメッセージと思えることも多い。
生きることの苦しみ、その重さと尊さ、今ここにいられることの『幸い』を、以前にも増してて教えていただいているように思える自分が今ここにいる。
そうしたメッセージや期待に、自分がすべて応えることができているわけではない。
しかしできるだけ嘘のない形で、僕を応援してくださる方の思いに真摯に応えていきたいと思っている。それが自分の現在の仕事や社会活動の支えにもなっている。
介護業界には、自身の心身の健康や、願っていた夢や想い・かけがえのない人といった大切なものを失いながらも、なお他者への思いやりを忘れない人がいる。
僕が現役中に起こったいくつかの大災害の最中に、自分が被災していながら、他者を慮って、その人たちの支援のためだけに被災地を走り回っている介護関係者は少なくなかった。
それは決して簡単に実行できることではないだろう。でも介護業界には、幾人もそのような人達が存在していることも事実だ。そのことを誇りに思う。
自分にとって大切な人や物を失った人は、今も完全にその心が癒されているはずがないのに、深く傷ついたゆえに、人の痛みに寄り添うと努めておられる。
そうした人たちが行動で示してくれる愛の形を、文字や言葉にして様々な人に伝え、後世にもその足跡を残していくことが僕の使命でもある。
介護実務に携わる人々の、その周囲にあふれだす愛を伝える仕事が、僕に与えられた仕事だと思う。
そんな僕の活動を紹介する動画、『さくらびとmasa』も是非ご覧になっていただきたい。
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