僕たちが携わっている福祉や介護とは、いまさら言うまでもなく対人援助サービスである。

それは一人一人の個性ある人間に対して向かい合うものだ。

だが、そこではそあくまで職業として利用者に向かい合うのであって、奉仕活動として無償で他者に関わっているわけではない。

福祉援助や介護という職業を続けているのは、そこで生活の糧を得ているからであり、その目的が達せられないとしたら、別な職業を探すことにならざるを得ない。どんなに今の仕事が好きであっても、生きるための生活の糧を得られないのであれば、対人援助という職業に携わり続けていられる人はいないだろうと思う。

そもそも対人援助の職業に携わっている人が、必ずしも高邁な理念や志(こころざし)に根ざして、その職業を選んでいるとも限らない。

たまたま介護の仕事に就いたというだけという人もたくさんいるはずだ。

それはそれで良いのである。動機や理由はどうあれ、対人援助という領域に係るようになった時を境にして、その時点から正しい知識を学び、適切な技術を身に着けて、利用者に真摯に向かい合う姿勢を護ることが大事だ。それさえできれば就業動機なんて関係なくなるのだ。

だからこそ職業として対人援助に関わる以上、福祉援助や介護のプロとして恥ずかしくない知識と技術を身につけなければならない。

介護をしている家族と同じレベルで物事を考えないでほしい。そこで求められる関係性とは、決して家族のように遠慮ない関係性ではなく、介護を受ける方に対するプロの介護支援者としての関係性である。

当然のことながら対人援助のプロとしての、「結果」も求められてくる。

「頑張ったけれど暮らしぶりを良くできませんでした。」・「そんなつもりはなかったけど、気分を害して申しわけありません」・・・そんな言葉も言い訳も通用しないのである。

だからこそ福祉援助や介護という仕事に携わる人には、対人援助とは何かという本質を学びとってほしい。新人教育に当たるリーダーや管理職は、仕事の手順を教える前に、職場の理念とともに、その本質をしっかりと伝えてほしい。

僕たちがどんなに高邁な理念や、高い志を持とうとも、僕たちのできることには限界がある。僕たちの仕事で世界中の人々が幸福になることはないし、世界平和に結びつくこともないだろう。

僕たちができることは、ほんの小さなことにしか過ぎず、僕たちの目の前にいる利用者の方々に、一瞬の笑顔を届けられるだけなのかもしれない。

むしろ目の前の利用者の方々にさえ、僕たちの思いが伝わらない瞬間も多い。だがそのようなジレンマを抱えつつも、利用者の方々の次の瞬間の笑顔を想像して、その笑顔を作り出すものは何だろうと考え続けて関りを持つ先に、「ありがとう」という言葉が返ってくることもある。

そんな小さなことを誇りに思い、喜びを感じる人になってほしい。対人援助のスキルとは、そうした小さな出来事に喜びの感情を持つことが出来ることも含んでいるのだと思う。そのために何が必要で、何ができるのかを想像し、気づくことができ、実践する人が求められているのだと思う。

僕たちは北風に震えるすべての人々に光を当てる太陽のような存在にはなれなくとも、陽の当たらない陰をさまよう人に少しだけ明るさを届ける存在にはなれるのだと思う。

枝葉の間からさし込むほのかな光のように、私たちの目の前の影の中にいる人々にとっての、「こもれ陽」となれるのだと思う。

そのように人に優しい存在になるために何をすればよいのだろうか。そのことを日々考え続け、実践し続ける人がいなくなれば、介護を受けなければならない人の周囲には、深く暗い闇が広がり続けるだろう。

そうならないように、一人一人の福祉援助者・介護職員が、こもれ陽を届ける人になることを願ってやまない。

こもれ陽とは、決してまぶしい光ではなく、優しく温かなものであることを忘れてはならない。
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