今日、このブログを読んでくださっている読者の方にはまず最初に、とある日の朝刊の記事画像を見ていただきたい。

これは僕とFBでつながっている看護師さんから送られてきた画像であるが、この記事画像の中に掲載されている写真に注目していただきたいと思う。
新聞記事の画像
この画像は日経新聞の新聞記事である。

この新聞記事で報道されている内容は、某介護事業者が営業利益第一位になっているというものであるが、この記事の中で同社について、「ホームホスピスに特化して高齢者を最期まで支える理念を掲げてサービス提供している」と紹介されている。

ところがその記事中の掲載写真が、その理念と一致しないのではないかという疑念がぬぐえない。

記事内容からすると、写真に写っている利用者は、看取り介護対象者なのであろう。ところがその手にはミトン手袋がはめられている。そしてよく見ると、この利用者が寝かされているベッドは、周囲を4点柵で囲っていることがわかる。

この状態は、「身体拘束」に他ならない。それは「緊急性・非代替性・一時性」という3条件に合致して初めて認められるものだが、終末期の看取り介護対象者に、そんな必要が果たしてあるのだろうか。

そもそも看取り介護は、安心と安楽の状態を最期の瞬間まで護るケアである。身体拘束をした状態で、そのような安心や安楽が得られるとでもいうのだろうか?

ホスピスとは、痛みや苦しみを軽減することにより、快適さと生活の質を優先するケアのことを言い、「ホームホスピス」を標榜するなら、身体拘束などあってはならないはずだ。だから新聞記事に書かれている理念と、この写真の介護状態は一致しないと思うのである。

そもそも人生の最終ステージを生きる人を支援する看取り介護において、このような2重の身体拘束・行動制限が許されるのだろうか。これが果たして看取り介護と言ってよいのだろうか・・・。

ベッド柵は本来、利用者をベッドから落下させないための道具ではなく、寝返りや起き上がりの際に手でつかまって動作補助するための道具である。

僕はその為、自分が総合施設長を務めていた施設では、基本的にベッドには柵を1本も使用しないことをスタンダードにしていた。

柵を設置するのは柵につかまって寝返りや起き上がり動作等をしなければならない人だけとしており、柵をしないベッドをデフォルトにして、必要性に応じてあとから柵を追加設置するというのが、新規利用者受け入れの際の方法だった。(参照:柵がないベッドを増やす意味。

4本柵という形でベッド全面を囲い、行動制限することに何の疑問を感じない人は、介護という職業に就くべきではないとさえ思っている。

そんな行動制限を終末期の人になぜ行わなければならないのだろうか。

ミトン手袋は、経管栄養や点滴のためのチューブを引き抜くことを防止するために装着させているのか?しかし終末期の経管栄養や点滴などは百害あって一利なしである。体が栄養や水分を必要としなくなって、死に向かって準備をしている段階で、経管栄養や点滴で過剰な栄養や水分を無理に注入するから、足は腫れ、出るはずのない痰がでて、その吸引に苦しまねばならない。

必要のない経管栄養や点滴をしなければ、ミトンなんて必要ないのではないか?

二人がかりで何かのケアを行っている写真の状態を見ると、この利用者は自分で寝返りができないように思える。全介助で寝返り介助を行っている人なら柵は必要ない。それとも終末期で、二人介助を行っている人が、自分でベッドから降りて危険だとでもいうのだろうか?

それなら自宅であっても、ベッドを低床化して危険がないように見守りする方法はいくらでもある。

そうした終末期の基礎知識のない場所で、看取り介護と称したニセモノの介護が行われている、「成れの果て」がこの写真ではないのか?営業利益第一位というこのホールディングスは、かなりブラックと言わざるを得ない。

それにしても取材を受けた施設は、新聞にこんな写真が掲載されることを恥とも何とも思っていないのが不思議だ。

新聞社や記者がこんな写真を載せて、その施設を褒める言葉を書いているのは単なる無知だから仕方ないが、当該施設がこんな写真を新聞に掲載されて、何も感じないのはどんな感覚なんだろう。

多分、こんな身体拘束がまともではないという感覚さえ失くしてしまっているんだろう。つまりこの施設は、日常的に身体拘束が伴う看取り介護・ターミナルケアと称する偽物ケアを行っているという意味だ。

それで営業利益第一位になっているからと言って、それは利用者の犠牲のもとに生まれている恥ずべき収益だとしか思えない。

こんな事業者で働いている人たちは、本当にそこで自分の仕事に使命感や誇りを持つことができるのだろうか・・・。

今朝僕は別ブログに、「キャリアダウンの転職にしないために」という記事を書いて、できれば今いる場所で花として咲くことができるような仕事をするのが一番だが、利用者の犠牲を強いたり、不適切なサービスに気が付かない場所では、自らの志が奪われるだけではなく、体と心を壊してしまう恐れがあるので、その際は信頼できる転職支援を受けてほしいと情報提供した。

この事業者で働く人にこそ、そのことを伝えなければならないのではないかと思ったりしている。

どちらにしても豊かな終末期支援を標榜している介護事業者が、このような体たらくぶりでは、安心して利用者は自らの身を介護事業者に委ねることは出来なくなるだろう。

この新聞記事を僕に送ってくれた方は、看護師の養成に携わっている方であるが、その方の嘆きの言葉を添えておきたいと思う。

四点柵にミトンの姿で安心して最期までって・・・出した会社側も新聞記者も、この程度の意識なんだなと思った次第でした。

本物の看取り介護・ターミナルケアが行われるためには、この意識の変革から始めねばならないのだろう。・・・途はまだ遠いと言わざるを得ない。
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