看取り介護の末にたどり着くものとは、「看取り介護対象者の死」であることは間違いない。
勿論、看取り介護とは対象者の死で完結する問題ではなく、死後のエンゼルケアを含むご遺体の適切な処置や送り出し、場合によってはグリーフケアを含めて総合的な視点からその範疇を考えなければならない。
しかし大きな区切りとして、「死」という現象がそこに厳然と存在し、それを避けて通れないことは事実だ。
しかし死を見据えて、その意味を含めてケアを考えることは思った以上に難しい。ここにはベースとなる物語はなく、「無」しか存在しなくなるからだ。
死生観などという大げさな話ではなくとも、日本人にとって死や死後に対するイメージは、ときに仏教的なものであったり、ときに神道的意味合いが濃いものであったりする。さらに人によってそれは唯物論的であったりしながら、つまるところはそのうちどれでもないという場合も多い。
その、「どれでもない」というイメージも多様で、人によってそれはお星さまのイメージであったり、灰であったり、幽霊であったり、千の風であったりするわけだ。
看取り介護の場で関係者がこの、「どれでもなさ」に付き合ったり、向き合わねばならないとしたら、永遠に答えのない旅をさまよわねばならなくなる。
そんな観念作業に終始している暇も能力も、あいにく僕らは持ち合わせていない。
そこに立ち入りすぎては、介護という行為が成り立たなくなる恐れさえ出てくる。
だから僕らは、「死」とは何ぞや、それはいかなる意味があるのかという問題と向き合う必要はないと思う。死という別れがそこに厳然としてあるという事実だけを受け入れて、それまでの間に、僕たちができ得ることを惜しみなく実行するというだけで良いのだと思う。
看取り介護を、「生きるを支える介護」であると考たうえで、死を一つの区切りとして、以後の対応は看取り介護に付随する行為であると捉えてよいのだろうとも思う。
看取り介護対象者が逝った後に、送り出した人を偲び、安らかなれと祈る心が、どんな意味を持つか知らないが、それは関わった者のごく当たり前に抱く心持ちの表現と考えるだけで良いのではないか。
人を敬い、その命を尊く思う心が、故人を偲ぶ思いにつながるのだと単純に考えるしかないようにも思う。
生きるための支援には、確実に死に向かっている時期の支援も含まれているのだ。しかしそれは決して、「安らかに死なせるための支援」ではない。それは宗教家か何かに任せるべき行為で、僕らは相談援助とか、介護支援というステージで、利用者と家族を暮らしの場で支えるだけの存在である。
「神様や、死後の世界を信じなくても、看取り介護はできるんですか?」と尋ねる人もいるが、それを信じるのも信じないのも個人の自由だ。
そのことが看取り介護という支援行為に影響すると考える方がどうかしている。僕らは観念論者ではなく、実践者であり、目の前にはいつも支援を必要とする利用者の存在がある。
哲学や観念に没入する前に、しなければならないことがたくさんあるのだ。
僕らの哲学とは、そうした実践を積み重ねて結果を出し続けた事実の上に、はじめて生まれるのだと思う。その究極の答えは、人はこの世に生を受けているそのことが奇跡であり、素晴らしいことだということだ。
・・・とここまで書いて気がついたが、どうも脈絡ない書き殴って終わる文章になってしまった。でもこんなことを書きなぐって終わることもできるのも個人ブログの良いところで、それはストレスの発散に結び付くだろう。
世間が3連休の中で、休みなく働かねばならない僕の勝手なつぶやくと思ってお許しいただきたい。勿論、こんな考え方や価値観を、読者の皆様に押し付ける気持ちは毛頭ないのだから・・・。
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