スキムミルクのにおいがする雨が降っていた夏の午後、飼っていた子犬が天国に逝きました。
幼なかった僕は、その時大きな声で泣きました。だけどいくら泣いても、子犬はピクリとも動きませんでした。
僕が命の儚さを知った瞬間だったかもしれません・・・。
むき出しになった銅のパイプから、焦げた食べ物のにおいがする古い病室で、幼い従兄弟(いとこ)は天国に召されました。
彼が旅立った瞬間を僕は知らずに待合室で寝ていました。大人たちのなんとはないざわめきの中で、そのことを知っても実感がありませんでした。
窓の外には青白い風が流れ吹いている冬の朝のことでした。
子犬も従兄弟も、大人になることができませんでした。そのチャンスを与えられることはなかったのです。
天国に昇ったのだから、もう痛みも苦しみもないのだと大人は言いました。でも僕は痛みや苦しみがあっても、子犬も従兄弟も生きていたかったのではないかと思いました。
でも誰も、子犬や従兄弟を救うことは出来なかった。
病院も医者も看護師も、従兄弟が生きたまま苦しまなくなるようにできなかった。
どんなに小さい命も、愛おしい命も、時によって簡単になくなってしまうことを知りました。
けれども僕たちは今ここに生きています。いつまで生きていくのかはわからないけれど、ここにいます。
小さいまま、幼いままで失われていく命と、そうではない命の違いはどこにあるのでしょう。
人も動物も死ぬために生まれてきたのではないはずです。結果的に死は生きることの先に必ず訪れるけれど、それは生き終わった結果ではないかと思うのです。でも幼くして召された命は、生き終わったのでしょうか。
小さいままで天に召された生命は、どんな意味をその生に与えられていたのでしょうか。
命の儚さや、命の尊さ・・・愛するものと別れることの哀しみやつらさを、人に知らしめるために、その命は存在したのでしょうか。
でもそれは必要なことなのでしょうか。
たった一つだけ確実に言えることは、大切なものであっても、それをいつまでも持ち続けることは、とても難しいことなのだということです。人は簡単に何かを奪われることがあるということです。
だから大切な人や大切なものの、「今」を大事にしなければと思います。
明日じゃなく、今しか大事にできないものがあるのだと思います。
スキムミルクのにおいのする雨は、あれ以来降りません。
むき出しの銅のパイプの病室はもうありません。
今はただ、においも色もない風が僕の周りに吹いているだけです。
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