国が介護保険制度の施行に踏み切った目的の一つは、「介護」をビジネスの舞台に引っ張り上げることにであったことは否めない。
人類が経験したことがない超高齢者社会が進行する日本で、毎年1兆円以上の社会保障費が膨らむ中で2015年には、「団塊の世代」と呼ばれるとんでもないボリュームの集団が高齢者世代に組み入れられることがわかりきっていた。
その状態を放置して従前のままの措置中心の高齢者福祉制度を続けていれば、高齢者福祉に掛けるお金が膨らんで財源不足となり、この国の福祉制度は機能しなくなるし、健康保険制度も崩壊するという危機感が当時の厚生官僚を中心として広がっていった。
その危機感が、「高齢者介護対策本部」の立ち上げにつながっていったものである。
そこに至る議論において、従前までごちゃまぜだった医学的治療を主とした「医療」と、生活の支援・身体の介助を主とした「介護」とを切り分け、ある一定年齢に達した場合、介護は誰しも必要になるものであり必要不可欠なものという大義名分を得て、国民を介護保険という公的保険制度に強制加入させ、新たな保険料を徴収する仕組みを整えたのだ。
そこで役人が描いた絵図とは、介護を市場原理によって自立させ、高齢者福祉をビジネスとして民間営利企業にアウトソーシングすることである。
つまり介護保険制度によって、介護はビジネスとなり、資本の論理の上に乗せられたという主張は、あながち間違った考え方とはいえないのである。
介護が資本論理の上に乗ったビジネスとなったのだから、助けられるためにはお金が必要だ。保険サービス利用における利用者負担とは、そういう意味で導入されたものである。
これによって介護保険制度は、お金のある人を救い、お金のない人は救えないという一面も持たざるを得なくなっている。区分支給限度額を超えたサービスを利用できるのは、お金持ちだけであるという事実がそれを証拠立てている。
民間営利企業は、お金持ちを積極的に救うことにより、制度外の収益までひっくるめて大きな利益を獲得することができるわけである。逆にいえばそのことは、保険制度内のごくわずかなサービスの対象にしかならない人が、制度からはじき出される理由や要素にもつながっているわけだ。
そんなことも含め、国はその裏の事情も熟知したうえで、介護を民間営利企業にアウトソーシングさせる際に、参入希望事業者の目の前においしそうな餌を撒いている。
「この国で介護ビジネスは、最も安定した右上がりの成長産業となる」・「介護は最も有望なビジネスである」という言葉がこの国のありとあらゆる場所で陰に陽に語られていた時期がある。そんな言葉に踊らされて、介護業界に進出した民間営利組織も少なくない。
そんな介護事業者にとって確かに制度施行後数年間は旨味もあった。後に介護バブルと称される単価の高い介護報酬と、国が国民に対して介護サービス利用を盛んに促す政策によって、経営能力がなくとも介護事業さえ立ち上げれば、自然と介護事業経営者の懐が潤う状態が続いたからだ。
この時期に国は、サービス利用は国民の権利なのだから、認定を受けた方は遠慮なくサービスを利用してくださいと、国民に向けて盛んに呼び掛けていた。
しかし一旦介護保険制度が国民に認知され、サービス利用が促進されると、国は掛けた梯子を外しにかかった。
即ち介護サービスを介護給付と予防給付に分断し、サービス利用を抑制するシステムを導入するとともに、利用抑制の網は報酬改定ごとに引き絞ることができるようにした。
サービスの抑制は、ケアプランの適正化という名の下でも実行され、あたかも居宅介護支援事業所が作成するケアプランが、過剰サービスの温床になっているかのように印象操作し、利用者を囲い込むサービス事業者が制度を危うくしているという印象操作も行いながら、国民の権利として利用できるサービスの範囲を狭めていった。
そのため区分支給限度額上限までサービス利用しているプランは過剰サービスそのものであり、そうしたプランンによるサービス利用者まで白い目で見られるような、いわれのない批判や糾弾が相次いで行われた。
しかし要介護4とか5の人が、在宅で一人暮らしを続けるなら、区分支給限度額上限までサービスを使っても、まだ足りないことは当然であり、限度額を超えた全額自己負担ができないために施設入所を余儀なくされるという多くの人々の事情が世間の耳目にさらされることはあまりに少ない。
こうした歪んだサービス抑制論が横行するのに加えて、介護事業者が大きな利益を挙げているとして介護報酬の引き下げが断行されるようになった。
そこでは全国展開している大企業が、いかに先行投資して人員を集めていたとしても関係なく、投資を回収できないまま報酬は切り捨てられていく。
そのため介護事業者は、運営コストを削る企業努力を続け、事務経費や人件費を圧縮・効率化しようとした。しかしその結果、さらに利益が生じていれば容赦なく報酬は切り捨てられるのである。
介護従事者の平均給与の低さとは、国のこの姿勢に根本原因あるにもかかわらず、それがあたかも介護事業経営者の搾取のように論理のすり替えが行われ、その見返りに介護職員の処遇改善加算や特定加算が新設されていった。
しかしその結果、小規模事業者では経営者が無休で頑張って、介護職員と同等程度の給与水準で介護職員に手当てを支払い続けているという状態が起きたり、事業経営自体に支障をきたして、従業員の雇用を護れなくなるなどの事態も起きている。
介護保険制度はもはや存在しさえすればよく、国民の福祉の向上とは建前だけの目的となりつつあるのは、こうした一面が、制度運用の中で行われ続けていることが最大の原因なのである。このことに気づかねばならない。
それは役人の支配論理の結果というに等しい。だからこの国の唯一の高齢者介護制度は、決して高齢者の豊かな暮らしを保障する制度とは言えないわけである。
いつまでも制度に幻想を抱いていても始まらない。現実を見つめつつ、その中でよりましな方向に踏み出すために、できることを粛々と続けていきながら、必要なことはついては毅然と物申してゆく先に、少しだけ光は射すのではないだろうか。
そういう意味でも、サービスの場からの生の声としての情報発信は重要なのである。
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