僕は長年、社福が経営する特養と通所介護等の総合施設長を務めてきた。
そこは職員の定着率が高い法人であったが、それでも年間数人の退職者が出る年はある。その際、どのような理由で退職を申し出た職員であっても、退職を翻意するように説得したことはない。
僕に退職を申し出る前に、退職意思を伝えるべき直属の上司が、退職を申し出た職員に翻意を促す説得を行っている際には、「そのようなことを行う必要はありません」と指導していた。
退職するという決断に至るまでに、その人は様々なことを考えて決めているのだろうし、それは強い意志と重たい判断に基づく決定で、他人が何を言おうと簡単に考え方が変わるとは思えないからだ。
ただし僕自身はソーシャルワーカーとして実務を行ってきたので、そこで必要となる説得術も学んでいるから、僕が本気で説得しようと思えば、幾人かの人の気持ちは翻意できたであろうと思う。
しかしそのような形で、思い悩んだ末の本人の決断を変えたとして、果たしてその後の仕事ぶりに影響しないだろうかと思ってしまうのである。誰かに説得されてしぶしぶ仕事を続けたとして、業務のパフォーマンスは下がるだろう。それは利用者対応という対人援助の一番大事な部分に支障をきたしかねないという意味だ。
そうならないように、退職を申し出た職員に翻意を促す説得に入るのではなく、気持ちよく今までの仕事ぶりをねぎらって、新たなスタートに向けるエールを送りだした方がお互いのためだ。ここで説得に当たって両者が気まずくなって、縁あって一度働いた職場に、退職した人が退職後に一度も訪ねてこれなくなるというのは、つながりあった人同志として寂しいことだ。そうなってはならない。
退職理由を事細かく聞き出そうとするのも無意味だ。退職者の心の中には色々な思いがあって、その中には上司や同僚に対する不満や不平がある場合も少なくないだろう。しかしそのような自らの心のひだを、正確に表現できる人は少ない。
多くの場合、それらの不平・不満は、「人間関係」という表現で完結されてしまう。よって退職理由を事細かく詮索する事業者側の行為は、退職者を傷つけるだけで、あまり意味のない行為だと思っている。
退職を申し出た人には、理由を詮索することなく快く送り出したうえで、寿退職などの明らかな理由が見いだせない人に対しては、「もしあなたの退職理由が、この職場や職場の誰かの不当な行為による問題であるとしたら、退職後でもよいから、知らせてくださるとありがたいです。」と頼めばよい。それ以上の詮索は無意味であるだけでなく、ハラスメントになりかねない。
ところで介護事業者の中にも、退職を申し出る時期を3カ月前などと期限を規定しているところがある。しかし就業規則でそうした規定を設けていたとしても、それは無意味で、従業員はその規定に縛られる必要がないことを理解しているだろうか。
労働者の意思による退職(辞職)は、原則として「自由」である。つまり、退職(辞職)という従業員の行動を、介護事業者は拒むことができないのだ。
ただし退職に関する主なルールは、労働基準法ではなく民法で規定されており、いつでも労働者の意思だけで勝手に退職しても良いというわけではない。
働く期間を限定せずに雇用契約を締結している場合は、正社員、派遣社員、アルバイト・パートに関係なく、「期間の定めのない雇用契約」に該当し、労働者は、いつでも自由に解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。(民法627条1項)
介護事業者の多くの従業員はこの、「期間の定めのない雇用契約」に該当するだろう。
仮に介護事業者と、「○年○月○日まで働く」と期間を定めた労働契約を結んだとする。例えば僕がコンサル先の事業所の業務実態を知るために、1月あるいは半年などの雇用契約を結んで管理職として勤める場合などがこれに当たる。この場合、やむを得ない理由に該当しない限り契約期間の途中での退職(辞職)は原則的にできない。しかし一般従業員の場合は、こうした雇用契約形態はほとんどないから、この規定はレアケースに適用されると考えてよい。
よって介護事業者に勤める大多数の従業員は、退職2週間前にその意思を申し出ることで、2週間後に退職できるのである。これを介護事業者が阻止することはできず、行えば法律違反を問われることになる。
民法における、「2週間前までの退職(辞職)の申し入れ」よりも長い期間の申し入れ義務を会社が就業規則に定めていても無効なのである。就業規則は法律を超えられないからだ。
この際、民法の2週間ルールはともかくとして、職場の就業規則である退職金の支給ルール等で、3月前の退職申し出がないと退職金の支払いがされないとされていた場合はどうなるのだろう。
そのような規定があっても無効とされる判例が示されている。退職金制度がある職場において、一定期間働いている人が退職後に、退職金が支給されているという事実があるならば、合理的理由がない限り、民法で規定された退職申し出時期を超えた退職申し出期間を理由に、その支給を行わないことは認められないとされているのである。
この点でも労働者は護られていることを理解したほうが良い。
なお法律の規定にかかわらず、雇用契約時に明示された労働条件が事実と相違する場合においては、労働者は、即時に労働契約を解除することができる。この場合は2週間前の申し出も必要なくなる。
このことは民法ではなく、労働基準法15条2項に規定されていることも理解してほしい。
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