利用者の置かれた状況に応じて、「言葉の掛け方」を変えているという人がいる。
対人援助に携わっている専門家として、相手や相手の置かれた状況に応じて、言葉遣いや対応の方法を使い分けているという人もいる。
本当にそんなことができるのだろうか?
そういう人は、自分以外の誰かが今何を考えているのか、どのような心持なのか、常に正しく理解できるとでもいうのだろうか。
哀しい気持ちを隠して笑顔でいる人や、恥ずかしさを隠そうとしてひょうきんにふるまう人の、心のひだをすべて読み取ることができるとでもいうのだろうか。
相手の置かれた状況やその時々の気持ちを正確に推し量る能力を、自分が持ってると信じられる根拠はどこにあるのだろう。自信過剰としか思えない・・・。
利用者の内面を理解しようとすることは大事だが、私たちは全能の神ではない。相手の考えている事をすべて読み取ることなんてできないのだ。
対人援助の場で利用者に真摯に関って、利用者に信頼を寄せてもらおうとすることは重要かつ不可欠な態度であるが、その結果がすべて思い通りになるとは限らない。
介護サービスを必要とされる方々は様々なパーソナリティを持った人たちである。生活歴・家族関係もそれぞれ異なった人たちが胸に抱える思いは千差万別だ。その思いを全て正確に把握・理解することはどんな専門家も不可能だ。
自分が受け入れられていると感じていても、ままならない事情で利用者が心に見えない壁を作っていることもある。そしてその壁に気づかれないように取り繕ってふるまう人もいるのだ。
利用者にも事情がある。思いがある。感情があるのだ。
自分の行動や発言が誤解されていると思うことがあるという経験は誰でも持っているだろう。しかしそれはあなたの本意ではないとしても、誤解している人にとっては唯一の真実なのである。
そういう誤解や理解不足は、人間関係上排除できないものであり、対人援助の専門家であれば、そのことが常に援助過程に付きまとうことを想定したうえで支援行為に当たるというのが、プロとしての正しい姿勢である。
自分の言動がすべて利用者に受け入れられるとか、自分が誰よりも利用者の気持ちを理解できるとか、そうした自惚れは捨て去らねばならないのだ。
だからこそ、相手の心を傷つけることなく、できるだけ誤解を受けないように、最低限のサービスマナーを持って接するということは、サービスの質を担保するうえでも必要不可欠なことなのである。
言葉を崩して接することを受け入れてくれる利用者がいたとしても、そのような対応を喜ぶ利用者が存在したとしても、崩した言葉で心を殺されたり、心に傷をつけられたり、憤ったりする人が一人でも存在すれば、それは対人援助の専門家として許されない対応方法だと考えるべきだ。
私たちは個人のプライベート空間に深く介入し、利用者が他人に見せたくない・聴かせたくない・感じさせたくない恥ずかしい部分まで、さらけ出させて支援行為を展開する職種なのだから、利用者の心に負担をかけず、護ることを何よりも優先させなければならない。
マナーのない行為は、その態度を揺るがせる一番のリスク要因だ。
全能の神ではない、間違いの多い人間であるからこそ、対人援助の場では、利用者に対してサービスマナーを持った態度に終始することが即ち、真摯に接することであるという理解が必要だ。
そういう真摯さがない人間は、対人援助サービスの場に居てはならないのである。
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