僕が総合施設長を務めていた特養では、「看取り介護を密室化させない」というコンセプトがあった。
看取り介護になった瞬間から、その人が施設内で看取り介護を受けていることを隠すかのように、人が訪ねてこない個室に押し込み、そこでどのような介護を受けながら過ごしているのかを、他の利用者がうかがい知ることもできずにいる状態がよいはずがないと考えていた。
同じ施設で暮らしている他の入所者との交流も一切なく、その姿が皆の目の前から消されたまま、やがてひっそりと息を引き取る。・・・それが看取り介護だとしたら、こんな哀しい介護はないし、その最期はあまりにも孤独だと思った。
そのような無情で寂しい旅立ちが、看取り介護の結果であってはならないと思う気持ちは、今も変わらない。
そもそも他者がどのように看取り介護を受けているのか、想像するしかない場所で、自分に残された最期の貴重な時間を使いたいなんて思うことができるだろうか。
看取り介護の実践が見えない場所で、「看取り介護もできますけど、終末期になったとしたら、どうしたいですか」と問われても、そこで看取り介護を受けたいなんて思うわけがない。
特養は、「家」ではないが、「暮らしの場」である。利用者と利用者の関係性とは、「家族」ではないが、「知人」であり、「友人」である場合が多い。
特養という暮らしの場で、縁あって同じ時期に交流機会を持っていた友人・知人として、残された時間がもうわずかであると明らかになった人がそこにいるとすれば、お別れの思い出を刻んだり、お別れの言葉を交わし合ったりする機会を持つことは大切なことである。
自分の命が尽きても、誰かが自分を覚えていてくれると思えたり、思い出してくれると感じることは、自分が生きてきた証を強く実感できることにつながるのではないだろうか。看取り介護とは、そうした思いを得ることができるエピソードっづくりの時間である。
何よりそこでは、「寂しくないよ、怖くないよ」と声をかけてくれる人の存在がある。「死の瞬間」が頭によぎる人にとって、それは何より救いとなる温かい言葉になるのではないだろうか。
誰もいない場所で、「私はどこに行くんだろう」・「寂しくてやりきれない」と感じて過ごすより、誰かがいてくれることだけで、安心できる人は数多いことと思う・・・。
そんな思いを強くさせてくれた理由の一つに、華子さんの存在があった。
華子さんは、「せっかく縁があったんだから、最期まで寂しくさせないようにお手伝いしますよ」と言いながら、看取り介護の対象となった人の傍らで、声をかけたり唄を口ずさみながら、最期の瞬間まで声は届くと信じて寄り添ってくれる人だった。
元看護師だった華子さんは私たちに、「聴覚障害のない人は、耳は最期まで聴こえているんだから、意識がなくても声をかけ続けるのは意味があることなのよ」「聴こえるから寂しがらせないように呼び掛けなさい・声をかけなさい」と教えてくれた。
華子さんはこんなことも言っていた。「私も最期は寂しいのはいやよ」と・・・そして、「でも私は怖がりだから、もうすぐ死ぬということは教えないないでね」と言いながら、「そんなこと言わなくても、きっと最期はわかるから」・「それでも念押ししちゃだめよ。ただ側について、怖くないよ、寂しくないよと声をかけてくれるだけで良いのだから」と言っておられた。
それが華子さんと僕たちの約束事でもあった。
そんな華子さんが、末期がんで旅立たれたのは、看取り介護を受けてからちょうど2週間目の昼下がりのことだった。
その日、柔らかな日差しの中で、家族や施設のスタッフと知人が、たくさん集まった華子さん個室は、順番に人が入れ替わらなければいられないほどのたくさんの訪室者があった。
「華子さん、聴こえるかい」・「私よわかるでしょ。聴こえるでしょ」・・・そんな声はすべて華子さんに届いていたと思う。
亡くなる少し前に、華子さんの頬に一筋の涙が伝った。あれは哀しみの涙ではなく、最期みんなとお別れができたといううれし涙だったと思っている。
そして死期が近いことを告げられることなく、自分で悟った華子さんは、最期は静かに安らかに旅立っていかれた。
私たちと華子さんの約束は、こんな形で果たされた。
※上の画像は看取り介護対象者の白寿のお祝いを1週間早めて実施したときのもの。周囲の人たちが終末期を生きる人を、身体・精神両面で支えるのが看取り介護。人生最終ステージを生きていることを意識しながらも、人生最期の誕生日もみんなで一緒に祝います。(※本ブログで紹介した、華子さんのケースとは別です)
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それすら飲み込めなくなったり、下血などの変化があれば、絶食となります。
その間に、職員間で「もうすぐお別れだね、○○さん頑張ったね」という心の準備をしておきます。
この時、まだ頑張れるのではないか、と考える職員も中にはいます。しかし、無理に水分摂取をさせると、痰の量が増えます。吸引をして苦しい思いをするのはご利用者ですよ、と丁寧に説明しています。
ご利用者は、高熱やひどい褥瘡が無ければ、最後までレクレーションの場に居て、周りの音を聴いていただいています。
居室は、ご家族がいれば面会しやすいよう個室に。いらっしゃれない場合は、4人部屋のまま過ごします。
私の夜勤中、20時にご逝去されたご利用は、排泄介助が終わった22時に提携病院に搬送。看護師さんと共にエンゼルケアを行い、お化粧をして葬儀屋さんに一時安置。
後日火葬場に行く前に、施設へ寄っていただき、元気なご利用者数名と共に職員が棺に献花しました。
お花で一杯の中に眠るお写真を、ご高齢で立ち会えなかったご家族が「送って欲しい」と希望されたため、お送りしたところ大変喜ばれたそうです。
以上、ほとんど吸引処置をすることなく安らかに旅立たれた方の事例です。長文失礼いたしました。
masa
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