僕は今週初めの月曜から大阪に滞在している。今日は午前と午後に豊橋と住吉で、「看取り介護講演」を行う予定になっている。

ということで先ほどお昼12時に午前中の講演を終えて、現在は住吉に移動中である。そのためじっくり記事更新している時間が取れないので、今日は短めの記事更新となる予定だ。

今日はたまたま看取り介護講演が重なっている。それだけ看取り介護は重要なテーマになっている。それは今後の地域社会では、住みなれた居所で最期の時間を過ごし、そこで看取ることが普通にならなければならないからである。

そのためには、すべての介護関係者に、「看取り介護」とはどういう介護なのかという理解が求められるし、終末期に起こり得る身体状況に対応する適切な方法論などの知識も必要になってくる。

だからこそ「自分の所属事業は看取り介護を実施していないし、今後の実施する予定はない。」として、自分に看取り介護スキルは必要ないと考えてほしくない。

何よりも理解せねばならないことは、看取り介護の知識と援助技術とは、看取り介護スキルではなく、介護スキルなのだということだ。

看取り介護を学ぶことは、介護の本質を学ぶことにもつながると思っている。人の命と向き合う思いを、好む好まざるにかかわらず強く意識せねばならない看取り介護では、人の命の尊さや儚さ、この世で結んだ縁の貴重さを知ることになるからである。そこに関わる介護関係者は、人として・専門職として何が求められるのかを問われることになる。
看取り介護講演
だからこそすべての介護関係者に、このテーマでの講演を聴いてほしい。

「看取り介護」とは、限られた時間を意識して行われる介護でもある。そこではすべてが貴重な時間で、今しかできないこと、今しなければならないことが数々出現する。そこで関係者は、刻々と変化する身体状況と精神状況に向かい合って、その時に最も必要な支援策を取捨選択をしていかねばならない。

瞬時の判断が求められる場面も多々あるが、想定外のことが起こることも当然として、臨機の判断ができるように、経験と知識をフル回転させ看取り介護対象者やその家族に接しないと、重大な後悔を残す結果になりかねない。

そうしないための日々の学びが必要なのだ。

そして看取り介護の実践は、介護専門職としての自らのスキルを磨いてくれることも知ってほしい。

僕が総合施設長を務めていた特養で、看取り介護の実践を通じて職員が実感していった思いを、当時の職員の言葉を借りて紹介しておく。
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北海道老施協日胆地区支部・職員研究発表会より
・打ち出された課題を一つ一つ改善していくためには、どんな事をしたらよいかと具体的に考える事ができるようになってきた。

・特別と思っていた援助を、当たり前の援助に変える事こそ「あきらめない介護」に繋がるという事を知った。

・家族と一緒に「その方がその方らしく生きるために何ができるか」を考えたいという気持ちが強くなり、普段からの関わりを大切にするようになってきた。

・ほんの小さな「気づき」を行動に変える力がついてきた。→一番近くで気付く人、一番近くで代弁する人としての介護職員の役割が肌で感じ取れるようになった。
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看取り介護対象者の方は、息を止めるその瞬間まで、私たちに様々な示唆を与えてくださり、そして死後にも私たちに天国からメッセージを送ってくれたりする。

その示唆やメッセージに気が付くか・その思いを受け取る事ができるかどうかは、ひとえに私たちの姿勢にかかってくるものである。
表紙画像(小)
僕の著作本にも、様々なエピソードなどを掲載しているので、一度手に取って読んでいただければ幸いである。
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