今年の桜がまた咲いた。(桜咲く場所で思うこと〜咲けない花は場所を変えようも参照ください。)
世間で何が起きていようとも、世界がどう変わろうとも、そのようなことはすべて些事であるかのように、去年と同じ場所で去年と同じ時期に桜は咲き続け、そして散っていく・・・。(画像は5/3朝の自宅付近のエゾヤマザクラ)
そのなかには、たくさんの人がその容姿を愛でる桜もあれば、誰にも見られずにそっと散っていく桜もある。そのようなことに関係なく、桜はその美しい花弁を咲かせ、散ってゆくことを繰り返している。
僕たちが新型コロナウイルスや、日々の仕事や日常生活に右往左往していることを横目に、世の動きに関係なく季節は流れ、今日も歴史は粛々と刻み続けられている。それはいつ果てるともない永遠の繰り返しなのだろうか・・・。
そんなふうにして、僕が生まれる前からこの空間には時が刻まれ、僕が死んだ後もこの大地には、時が静かに滑っていくのだろう。
さすれば僕たちの存在など、その空間や時間の中ではほんの一瞬のものでしかないのかもしれない。長い地球の歴史から見れば、僕たちの生きていく営みは、毎年咲いて散る桜のように、「うたかた」のものなのかもしれない。
そうであったとしても、自分がこの世に生を受け、命を与えられている限り、それは必ず意味のあることなんだと思う。だからこそ今を大切にして、生きる意味を考えながら、己の生きざまを刻んでいきたい。
誰からも愛され、誰しもの心を癒す桜のようにはなれなくとも、せめて僕が仕事として関わる誰かの心の咲く花のようになれたらと思う。
そんな思いを共有できる人とのつながりを大切にしたいと思う。
今朝、自分のフェイスブックにも書いたが、介護施設の入所者が携帯電話で110番をして、『今、監禁されているので、助けに来て』と警察を呼ぶケースが増えているそうである。
コロナ禍で面会制限が長期化しているのを当たり前と思い込んで、十分なアナウンスやカウンセリングをしていない施設では、そういうことが起きて当然だろうと思う。
それにしても、「助けて」という叫びを、施設職員ではなく警察に訴えなければならないというのは、利用者との関係づくりも問題があることが明らかである。
職員は外から通ってきて、日常生活はほぼ不自由なく送っている中で、介護施設の利用者のみ、1年以上にわたる制限を受けることが、「当たり前」であってよいわけがない。
長期化する制限を心苦しく思わず、感染予防のために当然の措置だとしか思っていない人は対人援助には向いていない。何らかの対策を取ろうと考えない人は頭のねじが一つ外れている。そういう人が管理職を務めている介護施設の利用者は不幸である・・・。不幸を創り出す人は一日も早くこの業界から退場していただきたい。それが世のため人のためになる。
人を護るということは、人の体さえ護っておればよいという問題ではない。同時に人の心も、どうすれば護ることができるのかということが問われる問題だということを忘れてはならないのだ。
科学だけでは手の届かないものが人の心だ。だからこそ介護には科学的・論理的ではない部分が必要になる。愛情とか優しさという目に見えない、理論化できないものをエッセンスとして加えるのが、人の心に寄り添うという意味なのだ。
桜の花を見ながら、そのことを今一度思い出してほしい。
対人援助・介護という職業の使命と魅力を伝える動画、「さくらびとmasa」の最新バージョンを、桜の季節に改めてご視聴いただきたい。
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