自分のことは自分で決められるのは、至極当たり前でのことである。

しかし社会の規範に外れたことまで、なんでも自分で決めた通りにできるということにはならない。

個人の権利とは、他者の権利を尊重する義務を伴うものである。人の自由はそれ自体が目的ではなく、幸福な暮らしを手に入れる手段なのである。

自己決定という行為も、道徳的な悪を選んで行為することを許しているわけではないし、コンプライアンスとしての制限も生じる。何より、被援助者自身の能力を超えてまで自己決定を強いるべきではないとされており、あらゆる手立てを講じても自己決定ができない人については、援助者が彼らに代わってニーズを表明し方法を選択するという、意思決定を代弁することによって利用者の基本的人権を守ろうとすることが優先されるのである。

この世の中は、自立できない人も共生できるからこそ住みよくなるのだ。

しかし共生社会とは、人を思いやることなしに成立しないのも事実だ。人の足を引っ張ろうとしたり、誰かを絶望の淵に追い込もうとしたら、共に生きることなんてできっこないのである。

奪いあう社会に、「共生」は存在しなくなる。

人の哀しみに目をふさぐことも共生を阻害する大きな要因だ。誰かの憤りの声を無視することも共に生きることを阻害する行為につながる。

今、巷では1年を超えるコロナ禍で、様々な制限が生じている。人の命を護るという意味で、それは必要不可欠な制限であると思うし、そのこと自体を否定することは出来ない。

社会全体が様々な我慢を強いられながらも、それに耐えてコロナ禍を打破しようとすることは、人間の英知が問われているという意味であり、その中で自由を一時的に制限された状態を耐え忍ぶというのは、この時代に生きる人間の義務であるだけではなく、それはこの時代に生きる全ての人々の英知が問われているということだ。

こうした状況の中で、介護施設やその他の居住系施設では、感染予防という大義名分を持って利用者の自由の一部を制限しているわけである。それは仕方ないし、やむを得ないことであるかもしれない・・・。

だからと言って、人の権利や自由を自分の意のままに奪う権利を、施設経営者や管理者・管理職が持っているなどと勘違いしないでほしい。やむにやまれぬ状況の中で、心苦しいお願いをきいてもらっているのだと考えてほしい。

神のごとく何でも決めることができると勘違いしたり、人の自由を制限して権利さえ奪い取ることに何の心苦しさを感じない人は、それだけで周囲に闇をつくっているのだ。見えない涙を見逃しているだけではなく、見える涙さえも目をふさいでみない状態になっているということだ。

制限を強いる必要がある状況の中で、制限を受けている人に、どれだけ優しいまなざしを注ぐことができるのかが問題である。そこでは人類の英知が問われるとともに、己の人格が問われるということを心してほしい。

愛情に欠けた制限は、人として許されないと思ってほしい。人から何かを奪わねばならないときこそ、大きな愛で包み込む気持ちを忘れないでほしい。そのことは、決して難しいことではなく、特別な知識や技術がいることでもなく、気持ちさえ持てば誰にでもできることだということを忘れないでほしい。

今週初めに作成した動画に手を加え、完成版をあらためて今日アップした。

この動画は、介護を通じて誰かのあかい花になろうとする人や、小さな行為を大きな愛を持って行おうとする人々と、全国の様々な場所でつながりを持てたことに感謝しながら、志を同じくする人に届けたいメッセージを込めた動画である。

週末のひと時、5分40秒だけこの動画を観ながら、自分が関わっている介護サービス利用者の方々の顔を思い浮かべていただきたい。僕と一緒に写真撮影したことがある方は、この動画に登場しているかもしれないので、それも確かめてみてください。

それでは皆様、良い週末をお過ごしください。来週は四国・愛媛県と高知県にお邪魔します。そこでお愛する皆さま、どうぞよろしくお願いします。
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