今年も残すところあと6日となった。そのような中で介護サービス事業者でも、年末・年始の準備であわただしい業務をこなしている人が多いだろう。

日本人にとって暦の行事や風習は大切なものだから、利用者の皆様に季節や時期を感じてもらうサービスを提供することは大事だ。

生活の場である居住系施設などでは、毎年暦に基づいていろいろな年中行事が行われ、年末・年始には、そうした行事が集中する時期だが、今年はコロナ禍という特別な状況があって、密を避けなければならないということで、大勢の人が集まっての行事は避けられているところが多いのかもしれない。

それでもフェイスブックやインスタグラムを観ていると、そうしたSNSに介護施設での行事写真などが投稿されていたりする。感染予防について様々な工夫をしながら、利用者の皆さんに楽しんでいただけるように、介護の場で働く皆さんが頑張ってるのだと思ったりする。

しかし・・・である。

そこで行われている中身が問題である。高齢者施設は大人が住まう場所である。にもかかわらずそこで行うお祝いのイベントが、チーチーパッパの世界になってどうするというのだ。

高齢者施設に子供が訪ねてきて、唄や踊りを披露するのは良いだろう。感染予防策を十分とったうえで、そうした行事をしたり、モニターでそうした行事を映して、それを利用者が観て楽しんでいることに何も文句をつけるつもりはない。

しかしクリスマスの行事を鑑賞している高齢者のその姿が問題だ。ステージの前に座っている人が、サンタの赤い帽子をかぶっているのはまだましな方で、中にはクリスマスツリーの飾り物を頭に載せている人がいたり、トナカイの角のつもりなのか、頭に角をはやしている姿で、高齢者の方々がステージの前に座って鑑賞させられていたりする姿がある。

どののどの家庭で、高齢者が仮装してクリスマスを愉しんでいるというのだ?しかも頭にツリーの飾りや角を載せた大人がどこにいるというのだ?今どきそんな恰好は、宴会の下品なかくし芸でも流行らない姿であり、高齢者介護の場でそうした場面を創り出すことについては、高齢者の方々を幼児化する、人を馬鹿にした目線かしか感じられない。

そこで楽しんでいるのは利用者ではなく、その利用者を見て、「可愛い〜!」と茶化す自分自身ではないのかと疑ったことはないのだろうか・・・。

様々な行事を愉しむ高齢者の中には、認知症の方もいて、幼児化した言動をとる人も存在するだろう。だからと言って介護従事者が、それらの人を幼児扱いしてよいということにはならない。幼児化してる高齢者についても、その尊厳を護って、丁寧な言葉遣いと態度で接しておれば、認知症の方の行動・心理症状は落ち着いていくのである。

そもそもそこに居る様々な高齢者の方々には、その背後にその方々を愛しく思う家族や親せきや友人たちがいることを忘れてはならない。その方たちが介護施設で、自分の家族がきちんと護られていると感じることができる職員の姿とは、従業員が自分の家族に馴れ馴れしく接して、子供のように可愛がられることではない。

家族が安心できる従業員の姿とは、自分の大事な父や母や、祖父や祖母を大切に思ってくれていると感じられる姿である。一人の人間として、その尊厳や権利をきちんと護ってくれているなと感じることが、家族にとって最大の安心感につながるのである。

高齢者を子供扱いして、若い職員が自分の親を茶化すような姿勢しか感じられないときに、家族は陰で絶望感を味わい、どこにも吐き出すことができないやるせなさに身を震わすことになるのである。それが証拠にSNSでは、親を介護施設に入所させている子が、「母は震えて顔をゆがめていました。看護師さんは何も感じないのでしょうか?激怒している内心を隠し、何も言えずに帰りました。」・「おいで、おいで はないでしょう。犬じゃないんだから。」・「ちゃん付けはやめてほしい。きちんとさん付けで呼んでほしい。」というように、悲痛な声が多数アップされているのだ。

しかし人質をとられていると同様の家族にとって、この悲痛な声を介護施設の管理職や従業員に直接投げかけるのは難しいという側面もあり、苦情や悲痛な声が表面化しないことも多いのである。

だからこそ我々は、高齢者はどのような精神状態・身体状況であっても、長い人生を歩んできた歴史を持つ一人の人間として、その尊厳や家族の思いを護らねばならない。

そういう意識が無いところで感覚麻痺による、「悪気のない虐待」がはびこってしまうのだ。
見えない涙
「魂」という文字は、人の心根をあらわす文字であり、「それなしではそのものがありえないくらい大事なもの」という意味がある言葉であるが、それは云うという文字があって初めて成り立つ文字でもある。ここから云うという文字がなくなれば、魂は鬼に変わってしまうのだ。

だからこそ何かの行事の時に、「それって大人にさせてよい行為ですか」という声を掛け合ってほしい。おかしなことはおかしいと云いあう勇気を失わないでほしい。そうしないと鬼の心で利用者の方々を扱う結果になってしまうかもしれないのである。

そういう場所に居続けることは、自らの感覚を麻痺させ、鬼の心を持った醜い姿に自分を変えてしまうことに他ならない。自分が今いる場所が、そういう場所であったとしたら、そこでキャリアを重ねても、介護のプロとしての成長はないし、人間として大事なものを失いかねないと思う。云いあって、正論が通じない場所からは、一刻も早く離れて、咲く場所を変えることも必要になる。(参照:置かれた場所で咲きなさい、というけれど・・・。

どうぞ大事なものは何かという視点を失わないようにしてください。私たちは、高齢者の方々を幼児のように扱って笑いを誘うために存在しているのではなく、人として大事なものを失わないように、傍らに居させてもらっているのだということを、どうぞ忘れないでいてください。
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