頭の良い人が、その知能のかぎりを尽くして介護事業経営を考えることで収益は挙げられるだろう。

しかしそのことと介護サービスの品質はイコールではない。頭の良い人が頭で考えるだけではサービスの質は向上しないし、人の暮らしを豊かにすることはできないのである。なぜかと言えば利用者から搾取の限りを尽くして儲ける方法はいくらでもあるからだ。

利用者から搾取するものは、お金だけではなく心も含まれる。利用者の心を奪い、利用者の哀しみや苦しみを無視した介護事業経営を行っている人間は、哀しいことに実在している。

しかし僕はそういう方法で、この仕事に携わることを欲しないし、そうした行為を許されないと憎む立場にいる。

そもそも儲けるためだけなら介護以上に儲かる別の仕事を探した方が良いと思う。

介護という職業には、もっと違うやりがいや喜びがあるからだ。

長年在宅で親を介護していた子にとって、その親を介護施設に入所させるのには一大決心がいる場合が多い。介護している自分も年を取り、体がしんどくなってきたときに、入所申し込みをしていた特養に空きができ、自分の親に入所順番が回ってきたからと言って、すべての人が喜んで親を施設入所させるわけではない。

自分が親の介護を放棄してよいのかとか、施設に入所させることは親を捨てることと一緒ではないかとか、施設が本当に信頼できるサービスを提供してくれる保証はないのではないかと思い悩む人は決して少なくない。

そんな人たちが、やむにやまれず親を施設入所させたときに、心配が杞憂に終わったと安心できるのは、親が家にいるときと同じように介護施設に居場所を見つけ、我が家のようにくつろいで日常生活を送る姿を見ることができたときである。

だからと言ってそこで親が年下の介護職員から、子供が親に話しかけるようなぞんざいな言葉遣いで話しかけられている姿を見て喜んだり、安心したりする子はいない。子ども扱いされている親の姿に心の中で涙を流したり、悔しがったりしている。従業員の礼儀のない失礼な言葉かけに、心の中で罵声を浴びせながらも、表面上はありがたい顔をしている人が多い。人質にとられている親が、自分の見ていない場所で、いじめにあっては困ると考えるからだ。

利用者の家族が本当に安心できる職員の態度とは、いつ見ても丁寧な対応をしてくれることである。言葉遣いも態度も丁寧な職員の姿にホッとして、ここに入所させて良かったと心から思えるのである。

馴れ馴れしい行儀の悪い態度ではなく、家族の介護とは一線を画した介護のプロとして礼儀ある対応に安心感を持つのである。

そういう介護サービスを創り挙げるのが介護事業経営者や管理職の役割である。

対人援助の質を引き上げ、人を幸せにするためには愛情というエッセンスが欠かせないのである。目に見えなくて科学でも説明できない、「人間愛」を加えた介護サービスを設計する視点が、僕たちには求められているのである。

頭だけで介護事業を考えるのではなく、心からケアの本質を考えたいものだ・・・。
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