今更言うまでもないことだが、介護の仕事は、利用者の暮らしに深く介入し、自分以外の他者の最もプライベートな領域に踏み込む仕事である。
そんなことは解り切っているという人が多いだろうが、このことは常に介護支援者が自分の胸に置いておかねばならないことだ。
なぜなら、介護の仕事が利用者が羞恥心を持つような行為にまで及ぶことの配慮を忘れたときに、介護支援は人の心を傷つけることに気が付かない、デリカシーに欠ける業務に変貌するからだ。
介護が必要な高齢者にとって、介護支援者の対応の仕方そのものが、自分の暮らしの質に直結するものであり、介護支援者の言動一つで、心が踊ったり沈んだりすることも多い。
だからこそ介護を職業としているすべての人は、常に利用者に対してベストのパフォーマンスを心掛けるべきである・・・。
しかし人間である以上、間違いは犯してしまうし、感情も揺れ動くのは当然のことで、常に一定のパフォーマンスに終始することは極めて困難であると言わざるを得ない。
ましてや経験の浅い人であれば、援助技術の基本を忘れて、間違った方法で失敗をしてしまうことがあるかもしれない。
そんなことはあってはならないと言うが、技術というものは実地の中で経験を重ねて、時には失敗を教訓として、初めて身につくものが多いのだ。感情のある人間が、同じく感情のある人に対して行う仕事の業(わざ)とは、教科書に書くことができない、文字や言葉に置き換えられない様々な領域に及ばざるをものなのである。経験でしか得られないものが必要とされるのが介護という仕事の宿命でもある。
そんなふうにちょっとしたコツが必要になるデリケートな仕事が介護である。だからこの仕事は決して、AIを搭載したロボットでも替わることができないのである。
そのような介護の仕事だからこそ、利用者と初めて向かい合った当初からベストのパフォーマンスを展開するということは難しい。
だからと言ってその状態を当たり前であるから利用者に対して、「我慢しろ」という態度であってはならない。それはプロとして恥ずかしい態度でしかない。
そうであれば私たちにはいったい何が求められるのだろう・・・。
私たちが介護という仕事の中で、利用者に対して最低限担保すべきこととは、ベストのパフォーマンスを展開できない場面でも、決して嫌な思いを利用者にさせないようにする態度を身に着けることだと思う。
「申し訳ございません」は優しい言葉であり、「ありがとうございます」は温かい言葉だ。そうした優しくて、温かい言葉を介護の仕事をする中で、普通に使いこなせるようにしたいものだ。
そうした優しさと温かさをもって介護の仕事に励むならば、あなたはきっと素晴らしく立派な介護支援者になることができるだろう。しかし最初から立派な介護支援者にならなくても良いのである。
利用者の方々に、嫌な思いを味合わせない対応。利用者の方々が不快にならないための対応。そういうことを繰り返す先に、仕事を通じてあなた自身が人間的に成長し、いつか人から見習われるような介護支援者になるのである。
だから私たちが最初に目指すのは、「感じの良い介護支援者」である。
サービスマナーを身に着けることは、感じの良い介護支援者になるための絶対条件であり、「介護サービスの割れ窓理論」を理解することは、誰からも求められる介護支援者に成長するための必要条件なのである。
是非そうした態度と理論を身に着けて、この国を支える介護支援者になっていただきたい。
家族と同じように言葉を崩して会話しなければ、親和性を伝えられないとか、タメ口が家庭的な雰囲気につながると勘違いしている輩は、いつまでも「感じの悪い奴」のままである。
その醜い姿に一日も早く気づいてほしいものだ。

※登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。
※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。
・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。
・masaの最新刊「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。