生き残るための医療・介護経営のウエッブマガジン、「CBニュース」に連載中の、「快筆乱麻masaが読み解く介護の今(57)」が今朝5時に更新されている。今月はコロナ禍特例に関する厚労省の対策の評価について、僕の考え方を示しているので、明日朝アップされる後編とともに注目していただきたい。
それはさておき本題に移ろう。
対人援助の仕事に就くものにとって、無差別平等の意識は非常に重要だ。この仕事は感情ある人間同士が接しなければ成立しない仕事であるからこそ、好き嫌いの感情が生ずやすく、顧客である利用者に対しても、サービス提供者が好き嫌いの感情を抱くことはやむを得ない。
だからといってその感情に左右されて、利用者のサービスの質に影響が出ることは許されない。プロである以上、その感情をコントロールして、誰に対しても平等にサービスを提供する必要がある。
だからこそ自己覚知による感情コントロールが求められることは何度かこのブログで書いてきた。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために)
ところが感情のコントロール以前に、最初から人を差別して介護に関わっている人がいる。意識の中で自分より立場の弱い人を見下す人がいるのだ。こうした態度を放置してしまえば、介護サービスを受ける人は、サービスを提供する人の顔色を常に伺っていなければならなくなる。そうなればその行為は援助ともケアとも呼ぶことのできない、劣悪な行為に成り下がる。
例えば、認知症のない人に対しては丁寧語で話しかけるのに、認知症の人に対してはタメ口で話しかけている人がいたりする。こうした態度は、認知症の人を見下しているということに他ならない。
こうした態度を取る人は、無意識のうちに認知症の症状がない人と、認知症の人は違う人間であると考えているのだ。だから言葉遣いが自然と異なってしまうわけである。
無差別平等の精神から言えば、どのような症状があろうとなかろうと、人としての価値は変わらないわけであり、職業として人にかかわる人間が、症状の違いで、接する態度にも違いが出るなんてことは許されないのである。
しかもアルツハイマー型認知症の人は、無礼で馴れ馴れしいタメ口に、一番傷つきやすい人でもある。そのことも理解する必要がある。
アルツハイマー型認知症という症状の特徴の一つに、「海馬」の機能不全というものがある。ほとんどのアルツハイマー型認知症の人は、海馬周辺の血流障害が生じて、海馬が働かない状態になっている。
この海馬というのは、見たり聞いたりした情報をいったん取り込んで、記憶にするための器官である。その器官が機能不全に陥っているのだから、新しい情報を記憶にできないのが、アルツハイマー型認知症の人の典型症状であると言ってよい。
それは何を意味するのかを考えるうえで、こんな場面を想像してほしい。
アルツハイマー型認知症の人が混乱し、行動・心理症状が強く出ているときに、時間を掛けて関わりを持ち、その人の気持ちに寄り添う態度に終始して、落ち着かせることができたとき、認知症の人は、落ち着かせてくれた人を愛おしく見つめてくれるだろう。ありがとうと感謝されるかもしれない。
しかしその時落ち着かせてくれた人の顔も名前も、アルツハイマー型認知症の人は覚えることができないのである。
混乱していた人を落ち着かせて愛おしく思われた職員と、アルツハイマー型認知症の人が、翌朝あった時には、認知症の人にとって、その職員は初対面の人にしか過ぎない。だからその職員が馴れ馴れしいタメ口で話しかけたときに、認知症の人は、「知らない人が、なぜ自分に馴れ馴れしく話しかけてくるのだろう。」・「年下の人間がなぜ自分に横柄な言葉や態度で接してくるのだろう。」としか思わない。それは認知症の人を怒らせ、混乱させる要素にしかならないのだ。
だからこそ、認知症の人に対しては常に、ゆっくり静かに近づいて、丁寧な言葉で目を見て笑顔で話しかけるという態度が求められるわけである。
そういう意識を持つことができない人は、対人援助の仕事に就いてはならないのだ。なぜならそのことに気が付かないことは、即ち人の心を傷つけ、人の心を殺すことを何とも思わないことと同じだからである。そんな人はさっさと別な職業を探した方がよい。
しかしそうであるなら、あんなに時間を掛けて丁寧に接した記憶も失われるのだから、接した時間も労力も無駄になると考える必要はない。認知症の人に時間を掛けて丁寧に接しても、何の意味もないと思う必要もない。
以前に書いた、「記憶を失っても、感情が残される理由」でも触れているが、記憶には種類があって、それぞれ記憶する回路が違うのである。
仕事や家事の手順を覚える、「手続き記憶」は、海馬を通さない記憶だから、アルツハイマー型認知症の人の記憶としても、残されている部分が多々あることと同様に、感情の記憶も海馬を通さず、小脳に残る記憶なのである。
さっき食べたものが何かを記憶できない人であっても、「あの人は良い人だ。あの人は好きな人だ。」ということは記憶できるのだ。
毎朝、最初に出会ったときには、「この人は誰だろう」と怪訝な顔で迎える認知症の人と、丁寧にあいさつを交わし、丁寧な言葉で目を見て笑顔で話しかけるということを続けていると、認知症の人の感情の記憶がよみがえり、「この人は、自分にとって良い人だ」と思えて、昨日や一昨日より時間を掛けなくても落ち着いて会話ができるようになるのだ。
だからこそ、そうした感情の記憶が残され、少ない対応時間で落ち着いてもらえるように、時間を掛けて信頼を得られる対応をするときも必要になるわけである。
そうして時間を掛ければ、その掛けた時間は貯金のように貯まり、後々、その人が混乱しているときに接した際に、さして時間を掛けずに落ち着いてくれたりするようになるのである。
愛をかけずにおざなりに対応するだけの時間は流れ、失われるだけになるが、愛を積めば時間は貯まるのだ。
だからこそ、今何をしたのかという記憶を失っても、感情の記憶は残っているから、認知症の人が一瞬でも楽しい時間を過ごすことには意味があるのだということを理解して、そのことを信じて認知症の人と関わりを持ってほしい。
認知症の人が良い感情を持てる時間や空間を作り出すことには、重要な意味があることを理解してほしい。
感情の記憶はしっかり残るという証拠は確かにある。なぜなら顔と名前を覚えることができない認知症の人でも、ごく自然に好きな介護職員と、嫌いな介護職員は見分けているではないか。
あなたは認知症の人にとって、どっちの職員だろうか・・・。認知症の人の感情のあり様は、私たちのケアの質を映す鏡である。そのことを忘れてはならない。
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