介護の職業とはある意味、「きりのない仕事」である。ここまでやったら終わりというゴールが見えるわけではないからだ。

今日行ったことがそこに成果として残って、その仕事を終わらせて新たな仕事に取り組むということができない職業が介護という職業の特徴でもある。

今日も明日も同じように繰り返される日常の支援・・・。昨日と同じように排泄ケアを繰り返したり、食事介助を繰り返したり、移動や着替えのお世話を繰り返すことが最も重要となるのが介護職である。昨日排泄介助を重点的に行ったから、今日はその数を減らしてよいということには決してならない職業でもある。

そのことに虚しさや疑問を感じる人は、介護の職業に向いていないと割り切るしかない。そういう人は介護の仕事に就いてはならないのだ。そういう人が疑問を感じている間に、利用者が必要とする、「今」はどんどん流れ去ってしまう。それはその先に取り返すことができない何かを失っていく過程かもしれない。

私たちの職業とは、毎日繰り返される行為を機械的にこなすのではなく、その行為の中に存在する、「人」そのものにスポットを当て、そこに居る一人一人の利用者の感情に寄り添う仕事である。その時に利用者の喜怒哀楽に巻き込まれて、必要な支援行為を見失わないためには、「統制された情緒関与の原則」は決して忘れてはならないが、同時に人として真摯に寄り添うために、「受容の原則」は最も重視されなければならない。

今日笑って喜んでくれた人が、明日同じ行為支援の中で喜んでくれるとは限らない。その時、笑っていた人が哀しんでいる姿を見ないふりするのではなく、その理由を探りアプローチを続けていくのが介護支援の本質であり、終わりのない検証と実践の繰り返しが必要となる。そのことを僕は、「天のない介護」と呼んでいる。

天のないことを空しく感じる人には向かない仕事だ。天のないことを限りない可能性と感じることができる人が続けられる仕事が介護という職業である。それは決して自分一人で黙々と道を切り拓くだけで良いという仕事ではない。

人の感情に寄り添い、人の暮らしぶりを良くするために関わる仕事は、私だけ・僕だけにできればよいということにはならない。私や僕がいないからと言って、誰かが不幸せにならないようにしなければならない。場所や時を選ばず必要な支援の手が差し伸ばされて、誰かが幸せになるためには、私や僕とともに歩む仲間が必要だ。だから、「介護の極意」は一人のものにしてはならない。必要な仕事の方法の伝承法を職人技にしてはならない。伝える責任も介護の一部分だ。そうでないと多くの人を幸せにする方法論にはならないし、そんな介護が必要とされるとは思えないからだ。

だからこそコロナ禍でも多くの仲間に、「人の暮らしぶりを良くする方法論」が伝わる機会をなくさないでほしい。「コロナを理由に職員教育をおざなりにする事業者が落ちる穴」は、事業経営という側面から職員の教育の大切さを指摘しているが、その本質は対人援助サービスが護るべき一番大事なものを失わないために必要なこととは何かという提言でもある。

僕の記憶の片隅に存在する、「急いでいきたいのならば一人で行きなよ。遠くへ行きたいのならばみんなで行きなよ。」というフレーズは、テレビドラマの中で聴いたセリフだろうか・・・。定かな記憶はないが言いえて妙である。僕はまだまだ遠くにある真髄を見極めるために、仲間を集めてゆっくりでも良いから前進し続けたい。
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どうかそんな介護の職業に誇りを持って、その仕事の中で自分の責任を全うできる人になってほしい。

責任は人をとても成長させるアイテムである。ところで今朝、僕は自分のFBに次の一文を投稿した。

『福利厚生やボーナスはともかくとして、とりあえず月給の高い派遣職に登録する介護職希望者が増えている。それが介護事業者における派遣割合が高まる原因で、派遣に頼らねば運営できない事業者が増えることで運営コストはますます上がっている。しかし派遣を選ぶ人は、重い責任を負わされないことを望み、嫌になったらすぐ辞めて、他の事業所に移ろうという人たちだ。そういう責任感や使命感の薄い人たちで、介護の質は担保されるだろうか。今後の介護人材対策を介護の質と双方で考えるなら、介護職の派遣禁止法案が一番効果をもたらすという考え方は乱暴だろうか・・・。』

ブラックな職場は居続けてもしょうがないが、だからと言っていつまでも派遣という身分に甘んじて、自分に責任も使命感も与えないことは、自分自身の損失でしかない。スキルを高める機会を失わせることは即ち、自分が自分を評価しないという意味でしかない。

派遣という身分に自分を押し込めて、自分の人間性の向上機会や可能性をつぶしてしまうのではなく信頼できる転職サイトを利用するなどして、自分に合った職場で責任ある仕事を背負うべきである。


北海道はお盆を過ぎて、そろそろ秋の風が吹き始めた。登別の僕のウオーキングコースには、秋桜が咲き始め風にそよいでいる。

爽やかな秋風のように、清楚で美しい秋桜の花弁のように、誰かの心を癒すことができる行為となる介護であってほしいと願う。

誰かの心に咲く花になれる介護であってほしいと祈る。
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