介護施設をはじめとした居住系施設では、今現在でも利用者への面会制限が続けられていると思う。

新型コロナウイルスの新規感染者が次々と発生している現在の状況では、共同生活の場である介護施設等でいつクラスター感染が発生してもおかしくないので、そのリスクをできる限る減らすためにも、面会制限は続けざるを得ない。

このように全国のほとんどの介護施設等が、これだけ長期間面会制限を続けているという状況は、この国始まって以来のことではないかと思う。

介護施設が面会制限を行う例は過去にもあった。例えばノルウェー疥癬やインフルエンザ・ノロウイルス感染などの集団発生が見られた施設が、一定期間の面会制限を行った例は数多くある。しかしその際の制限は施設単独で、期間もせいぜい1月程度であったと思う。

しかし今回のコロナ禍での面会制限は、長いところですでに4カ月にも及び、しかも全国ほとんどの居住系施設でその状態が続いているのだから異常である。だからこそ制限が長期間に及んで生ずるストレス管理にも意を用いなければならない。

感染予防がまず大事だといっても、人の暮らしの場でもある介護施設が、利用者の暮らしの不便を完全に無視して制限を続けることに問題がないはずがない。介護施設の関係者の方々は、そのことがどれだけストレスフルな暮らしを生み出しているかということを、自分の身に置き換えて考えてほしい。自分が今いる場所から一歩も外出できず、外の誰とも直接会ってコミュニケーションを交わすことさえできない状態が、これだけ長く続くことが自分の身に降りかかったとしたらという視点で問題を捉えてほしいと思う。

だからこそ常に制限緩和に向けた動きを模索しなければならない。昨日の記事にも書いたが、介護事業経営者や管理職は、制限はどこまで許されるのかという自問自答を常に行わねばならないし、機械的に制限ルールを適用するのではなく、個々のケースで常に例外を考る必要があるのだ。

特に面会制限を行っている施設内で、看取り介護を行っている人に対するケアはどうすべきかは大きな問題である。そのなかでも看取り介護対象者の面会をどのように考えるかということは大きなテーマとなるだろう。

看取り介護とは、その対象者がまさに人生の最終ステージを生きる過程に手を差し伸べる行為だ。そこで機械的な面会制限が行われるということは、家族と直接コミュニケーションを交わすことなく旅立っていかれることになるかもしれないということだ。誰とも会えずに、「寂しい、逢いたい」と言いながら亡くなる人がいるかもしれなくなることは、「仕方のないこと・やむを得ないこと」という一言で片づけてよい問題ではないと思う。

看取り介護の方についてもリモート面会ができ、顔を確かめ会話もできるから問題ないという意見もあるだろう。しかし看取り介護対象者が最終ステージに近づく時期とは、家族との言語的コミュニケーションは極めて難しくなる時期である。そこでは意識が薄れている看取り介護対象者の手を、愛する家族が握りしめ、体をさすりながら非言語的コミュニケーションを交わすことが重要となる。そうした別れ際のエピソードを心に刻むことは、遺される家族にとって非常に意味深いことなのである。リモート面会ではそうしたことは不可能だ。

聴覚障害がない人については、最期まで耳は聴こえると言われており、非言語的コミュニケーションが中心となる時期であっても、家族が意識が薄れた看取り介護対象者に声をかけ続けることは大事である。しかし機械を通して電波によって声を送るという方法が、直接声をかけているときと同じように看取り介護対象者の耳に届き伝わるのかは大いに疑問だ。

もともと高齢者は、直接会話するときに聞き取れている言葉でも、テレビ画面から流れる音声としての言葉を聞き取れない場合が多い。リモート面会では、意識の薄れている人に声が届けられない恐れが多分にあるのだ。

だからこそ健康チェックを受けた家族が、職員と同じように感染対策上の防護対策を取ったうえで、決められた場所と時間において、少人数であっても面会できるように、例外規定を設けることは必要不可欠なのである。面会制限期間であっても、看取り介護対象者の場合の基本原則は、「節度ある方法による面会を、例外的に認める」という考え方でなければならない。

そのために施設側は、面会者に装着するマスクや簡単装着できる「フェイスシールド」くらいは常備して、面会者につかってもらうようにしておくべきだろう。


ただし前述したように、面会時間制限・人数制限・場所指定・予約制などの条件設定は必要だと思える。

このような制限が必要になることを前提すると、人生会議(ACP)のあり方にも影響が及んでくるのではないだろうか。

人生会議(ACP)は、人生の最終段階における医療とケアのあり方を、本人の意思を最大限に取り入れて決めることであり、複数の専門家で構成する話し合いの場を繰り返し設定して、心身の状態によって変化しうる、揺れ動く利用者のリアルタイムの意思を確認する過程を指す。

6/1に行われた介護給付費分科会の資料、【資料3】令和3年度介護報酬改定に向けて(地域包括ケアシステムの推進)の中でも、国民一人一人が、希望する人生の最終段階を迎えることができるようにするために人生会議の重要性は強調されているわけであるが、そうであれば仮に自分が介護施設等で看取り介護を受ける場合、感染症対策として面会制限が適用される時期に、どのような制限を受けざるを得ないかということを、あらかじめ人生会議(ACP)として説明しておく責任が介護施設関係者には生じてくるだろう。

面会制限がどのような状況で行われるのか、リモート面会は可能か否か、面会制限が行われた場合に看取り介護対象者も同じように制限を受けるのか、例外規定はあるのかないのか等々を説明すると同時に、感染予防対策下の場合、「リモート面会のみで良いか」・「特例的に直接会ってお別れしたい人がいるか否か」・「面会が許される場合も、人数制限が行われる可能性が高いが、自分が終末期になった時に逢いたい人の優先順位はあるかどうか。ある場合はどのような人から先にお別れの時間を持ちたいのか」等を確認しておく必要もあるのではないだろうか。

確認事項の中には、聞きづらい内容も含まれてくるかもしれない。特に逢いたい家族の優先順位をつけることには、家族の好き嫌いの順位付けをするようなものだとして嫌悪感を覚える人がいるかもしれない。

しかしこれらの確認は、すべて看取り介護対象者が希望する人生の最終段階を迎えることができるように、本人にとって最善の方針をとるために必要であるという視点から、心理的負担にならないように配慮しながら、確認しておきたいことである。

当然その内容によっては本人や家族が、知りたくない・考えたくない・文書にまとめたくないというものも存在する可能性がある。そうした思いを持つ方々への十分な配慮が必要になることは当然だ。だからこそ自分や愛する誰かの、「死」について語ることをタブーにせず、日常的にそのような話題を挙げて話し合う機会を持つことが出来る社会にする必要があるのだと思う。

そういう社会基盤があってこそ、自分や愛する誰かの死に関して繰り返し話し合うことができ、そこで忌憚のない意見を交わしあって、心身の状態に応じて変化しうる意思に沿った、「安らかに最期の時を過ごす」ということが実現し、安心と安楽の看取り介護につながっていくのではないだろうか。
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