今週火曜から昨日・木曜日まで、「不足感が増す介護人材をどう確保するのか」という記事を、前編中編後編に分けて書いてきた。

そんな記事を今この時期に書いた理由は、この国の介護問題を考えたとき、介護人材不足が最大の課題であるとともに、それは介護事業者にとっても最大の課題であるからである。

だからこそ人材を集めるだけではなく、自らの力で人材を育てるという意識が必要不可欠になることを、それらの記事では強く訴えている。

しかし指導教育の役割を担うリーダーにとって厄介なのは、指導を受ける一部の人の中に、「叱られる」という意味を理解できない人が含まれているということだ。

叱るとは、職制上の部下などの目下の人の悪い点を改善してもらおうと、厳しく注意することをいう。優しく指導することも重要だが、優しい指導だけで態度が改まらない人に対しては、厳しく育てるという視点も必要になってくる。時に叱って改善点を自覚してもらう必要があるのだ。

叱るという行為は、叱る相手の成長を促したり期待したりしているという意味で、ある種の愛情を含んだ行為であるともいえる。感情的に怒ることとは違った行為なのだ。

しかしそれを理解できず、「最近の若い人は、少し厳しく注意をしただけで、すぐやめてしまう」として、叱ることができない指導者がいたりする。叱らないで優しく指導するだけで成長するなら、それで構わないだろうが、叱ったらすぐやめてしまう人の多くは、優しく指導してもさっぱり指導効果が挙がらない人が多い。

辞めてしまうことを恐れてろくに注意もできないという状態は、職場が荒れてサービスの品質が劣化する一番の原因である。

僕は指導者が叱るという行為を一種の、「スクリーニング」であると捉えて、指導者には意識的に厳しく叱らせる場面をつくるべきだと思っている。その時にそれが不満ですぐ辞めてしまう人は、それで良いと思っている。そんな人員が人材に化けるなんていうことはないのだから、採用面接で見抜けなかった成長動機がないという欠点を見抜いて、試用期間中に選別できたと考えればよい。これも、「腐ったミカンの方程式」である。

それは良いとして、厄介なのは叱って厳しく育てる行為と、ハラスメントの区別がつきにくいことだ。

感情的に怒りをぶつけて行動を修正させようとする人は指導者に向かないことは何度かこのブログで指摘しているところだ。根拠ある論理的な説明で行動変容を図るような指導が求められているが、だからと言って教えるものに媚を売るような態度であっては、教育者としての信頼は得られず教育効果はあがらない。

間違っている考え方については、しっかり教育的指導を行わねばならないし、叱って教えることも必要な場面は多い。だからこそ教育指導の役割を持つ人材を育てる過程でも、厳しく育てることと、ハラスメントの違いをしっかり理解できる教育プログラムを導入しておく必要がある。

パワーハラスメントとは、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える、または職場環境を悪化させる行為を指す。

職制上同等の地位にあるものの間であっても、言葉や態度によって相手の人格、尊厳を傷つけ、精神的な苦痛を与える職場での行為についてはモラルハラスメントとされる。

こうしたパワハラやモラハラと、厳しく叱咤激励する行為の明確な線引きは難しく、個々のケースごとの判断に頼らざるを得ない場合が多い。

明確にハラスメントとされる行為の例としては、社員の不適切行動を他の同僚にも周知させるため、「やる気がないから会社を辞めたほうがいいぞ」などの叱責メールを一斉送信するなどの精神的攻撃とみなされる行為が挙げられる。

本人が拒否しているのに私生活のこと(離婚歴等)を詳しく詮索するなどのプライバシーに過度に踏み入り、「個」を侵害する行為はハラスメントと認定されることが多い。

このように見せしめ目的の叱責は侮辱と判断される場合もあるし、退職や解雇、処分をほのめかす言動がパワハラと認められた例もある。

しかし精神的苦痛とは、そもそも相手がどう受け取るのかという問題に帰結してしまうのだから厄介だ。指導側が、「そんなつもりはない」と言っても、相手側が、「ひどく傷つき苦痛によって仕事ができなくなった」とすれば、ハラスメントとされてしまう場合も多いからだ。

「バカヤロウ何やってるんだ」という言葉だけで、ハラスメントとされてしまうことがあるなら、叱るという行為自体ができなくなってしまうと指導側が委縮してしまえば、教育指導なんて形骸化してしまうので、大きな問題と言えよう。

ただ教育指導とは一定の条件が備わった行為だと解釈されており、次の3点に該当する行為は範疇である。
・部下に対し、自らの欠点を自覚させ、併せて長所を気づかせる
・事後的なフォローをすることにより、叱責前の状況よりも引き上げるための努力をする
・叱責や指導の必要性を明確にし、部下に伝える


このことを意識しながら、相手の成長動機を促す視点を忘れないことで、熱心な教育指導をハラスメントと誤解されないで済むかもしれない。どんなに厳しい姿勢を貫いても、そこに人に対する愛情を忘れない限り、憎しみの感情が入り込む余地はなくなるだろう。

どちらにしても人を育てることは、人の成長に感謝することである。教育指導担当者は、叱るという行為の一方で、指導する人の長所を見つけ、長所を認め、結果が良ければ褒めることも忘れてはならない。

人を育てるということは快適な職場環境を作ることだということも忘れてはならない。そのことを目標にして、継続して職場をリードしていくことが大事だ。

すべての職員が一定レベルの仕事ができるように育てること、自分で考えて行動する職員を育てることを目標にして、勇気をもって、温かく、かつ厳しく注意を行うことは決して咎められることではないのである。

叱る勇気を失わないリーダーによって、職場環境やサービスの質が護られることを忘れてはならない。
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