ALSの女性が嘱託殺人で亡くなった事件について、ネット上でも様々な意見が飛び交っている。

この事件は安楽死や尊厳死とは全く言えない単なる殺人事件だとか、被害者の状態は決して終末期とは言えないとか、たとえ治療法がない難病を患ったとしても生きる希望を失ってはいけないとか、論じられている問題の方向性も様々である。

一つの事件や事案から様々な問題が論じられることは、決して悪いことではないと思う。ただしそのことは興味本位の揶揄に終わるのではなく、悲劇や喜劇を繰り返さない教訓に結び付く議論であってほしい。

僕個人に限って言えば、この事件に関しては被害者となった女性がなぜ絶望してしまったのかを一番に考えたいと思った。彼女を絶望させないためにできる何かがなかったのかということが何より検証されるべきではないかと考えたのである。

なぜならこの事件において、確実に言えることは彼女が死ぬことを何より望んだという事実があるからだ。それは良いとか悪いとか論評できるような問題ではなく、そこに厳然と存在する事実である。そういう気持ちに至ることを誰も止められなかったのである。それはやむを得ないことだったのか、そうではなかったのか・・・。

彼女は病気が発症した当初から絶望していたわけではない。最初から死を望んでいたわけではないのである。そのことは病気が発症した後にも、仲間と連れ立って手を借りながら、旅行を楽しんでいたというエピソードでも垣間見える。その彼女が、「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」とツイートするに至った過程で、何が彼女の心境をそうさせたのかを考えなければ、同じような過ちで心と命を奪われてしまう人がいないとも限らないのだ。

だからこそ、彼女の体が徐々に動かなくなっていき、寝たきりで生活を送らざるを得ない状態から脱せなくなってきた際に、その恐怖と闘いの過程で、生きる希望を失うまでに気持ちが折れていく過程で何があったのかを考えなければならない。

そのため、「全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音」という記事を書いて、周囲の心無い対応が彼女の絶望を助長していった可能性に言及してみたりした。

この記事は特定の個人を誹謗中傷することを目的としたものではない。だが私たちの仕事とは、そこで支援を受ける人に勇気と希望を与えるものでなければならないはずで、そこに少しであっても絶望させる要素が存在してはならないのであるから、こうした事実に向かい合って、同じ過ちを繰り返すことがないように、そこから教訓を導き出さねばならないと思う。

対人援助の場で、自分が何気なく発した一言によって、人を傷つけるだけではなく、誰かを絶望の淵に追い込むことがあることを意識して、そのような要素を徹底的に排除するという姿勢を持ち続けるプロフェッショナルとして私たちが存在しない限り、悲劇はなくならないだろう。

自分の暮らしのすべてを委ねなければならない全身麻痺の人に対して、サービス提供中に愚痴をこぼす姿はプロとは言えないことを、すべての介護支援者が自覚しなければならない。ましてやその愚痴につながる問題の所在が、利用者にあるかのような言葉の暴力を決して許してはならないのである。

仕事中に利用者に対して愚痴や文句を言ってはならないというのは、教育しなくても理解できるレベルの問題である。そうした常識が護られていないという意味は、対人援助として接する個人にプロ意識が欠落しているという意味だ。それは利用者の暮らしを支える身体介護をはじめとする支援行為が、職業として提供されているという意識より先に、施し意識がそこにあるという意味だ。

人の尊厳に対する配慮は、そうした施し意識が欠落させていくのである。そういう状態ではプライベートと仕事の区分が付きにくくなり、顧客に対するサービスであるという意識も欠落する。特に利用者の自宅が密室化し、そこで1対1の関係で接するサービスでは、支援する方が上であるという意識が生まれやすい。

その意識をなくすためには、一つ一つのケースごとに徹底的に人権を護る意識を植え付けるしかない。人の希望はあっという間に失われるが、絶望の淵に立つ人をそこから救うのは、いかに難しいかということを、支援チーム全員で意識する話し合いが持たれなければならない。そのように人の尊厳とは何かということを、徹底的に論じあうメンバーによって支援チームは構成されなければならないのである。

さすればサービス担当者会議とは、単にケアプランンの内容確認に終わることなく、支援対象者の尊厳を護る方法の具体策を論ずる場にしなければならないのではないだろうか。ここを是非意識して会議を進行してほしいと思う。

希望というものは、他人が与えようとしても簡単にそうはいかないものだ。自分の中でゆっくりと養い育てるのが希望である。その希望は支援者一人一人が、真綿にくるむように大切にし、壊れないようにする必要がある。

介護支援チームに求められているのは結果責任である。良かれと思って行った行為が、結果的に支援する人を絶望の淵に追い込むことがあってはならないのだ。そうしないための最大限の努力は、常に続けられなければならない。

そのことを忘れない支援チームであってほしいし、本事件を振り返る過程が、そのための教訓を残すものであってほしいと思う。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。