介護保険法におけるケアプランの位置づけは、施設サービス計画が施設サービスの絶対条件となっているものの、居宅サービス計画は償還払いを現物給付化する条件となっているだけで、絶対条件にはなっていない。(参照:居宅サービス計画と施設サービス計画の法的位置付けの違い

つまり居宅サービスに限って言えば、償還払いで良しとするなら、居宅サービス計画(ケアプラン)のないサービス利用は認められているわけである。

しかしながら法の主旨を読み取ると、ケアプランは自立支援という理念を達するための存在意義を持たされていることがわかる。利用者の生活課題を抽出して、それらを解決するための目標を段階的に設定し、一つ一つの目標をクリアして課題解決につながるように、サービスは計画に基づいて提供されることが推奨されているわけである。

いわばケアプランは、介護保険法にとってその精神を守り通すための根幹をなすツールと言ってよい。

だが自立支援という理念は、もともと国民の福祉の向上のために掲げられている理念であり、そのことも法文にしっかり明記されていることを忘れてはならない。国民の福祉の向上とは、その制度で各々の暮らしに光を届けるという意味であり、一人一人の暮らしぶりがよくなるために制度が利用されなければならないという意味である。

そうであればケアプランとは、利用者が幸福感を抱くことができる暮らしが実現するためのツールである必要があり、それは決してケアマネジャーの仕事をしやすくするために存在するわけではないのである。

だからこそケアプランは、心身の障害があっても「残された能力」があることに着目して、サービスを障害の穴埋めにするのではなく、残されている能力を最大限に発揮できる方法で具体化することを求めている。それがICFの考え方を取り入れたポジティブプランという考え方だ。(参照:ICFの考え方を取り入れたポジティブプランを図解する

そこで大事なことは、利用者にとって何が必要であるかという前に、利用者自身が何をどうしたいと考えているのかという、「思い」を引き出すことである。人が口にする言葉は、思いをすべて伝えられるほど豊富な語彙(ごい)を持っていない。誰かの唄のフレーズではないが、「とても伝えたがるけれど言葉は心を超えない」のである。

その伝え難い「思い」を汲み取るアセスメントに心がける必要がある。

さらに言えば、人はしばしば自分の本当の思いに気が付かない場合もある。そこを引き出すのが真のアセスメントである。「○○さん、それはどうしてですか」・「なぜそう思うのですか」・「そうだったんですね」・・・そうした共感の声かけは、相手の心を受容することにもつながり、アセスメント時に何よりも重要である。

だからこそケアマネジャーは、利用者の表出されたニーズ、表出されないニーズの両方に目を向けなければならない。

利用者が口にできる希望を、「それは単なるデマンドであって、本当のニーズではない」と切り捨てることができるほど、アセスメントツールは絶対的なものではないのだ。利用者が希望する声こそ、ケアマネも気が付かない真のニーズであり、課題解決につながる方法論かもしれない。利用者の希望をバッサリ切り捨てられるほど、人の価値観は単純でもない。ニーズとは我々が想像も及ばない多様性の中に存在するものであり、法に抵触しない限り利用者の希望は最大限に汲み取られて良いのである。

この際大事なことは、「できる方法を最大限に考えること」であり、決してやってはならないことは、「できること方法を探す前に、できない理由を一生懸命に探す」ことである。

できることを繰り返し探し続けることで、利用者を絶望から救うことができるかもしれない。人には希望が必要だ。希望がないと勇気さえわかないのである。絶望を希望に変えることで、生きる勇気も湧いて来ようというものだ。

利用者が、「こうなりたい」・「こうしたい」という思いを表したのであれば、それに向かってできる方法をまず考えねばならない。なぜならできない理由ばかり考える人によって、すべての希望は失われてしまうからだ。そして希望を失った人は絶望に陥るのである。

先週土曜日に書いた「全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音」の中で、嘱託殺人によって亡くなられたALSの女性は、「猫を飼いたい」・「猫と一緒に暮らしたい」という思いを、担当ケアマネによってつぶされてしまったというエピソードを紹介している。

ケアマネが利用者の希望をつぶした唯一の理由は、自分が猫アレルギーであるということだ。自分の担当者が猫を飼ったときに、自分のアレルギー症状が出ることがないように、支援を続けられないかという可能性を一切考慮せず、自分にとってそれは受け入れがたいと考え、さらに自分のようなアレルギーを持つ人が、他の支援者の中にも存在するかもしれないという、実際にはそこに存在していないネガティブな状況を想定し、バリアとなる理由を探すことだけにエネルギーを使った結果、利用者は絶望してしまったのではないだろうか。

できない理由付けに躍起になることに、どれほどの意味があるのかを考えてほしい。そんなケアマネジメントなんて必要とされていないのである。

利用者に希望をもってもらうためにあるはずのケアマネジメントやケアプランが、結果的に利用者の希望を奪い、絶望を与えるものになってしまうのであれば、ケアマネジャーは不幸を与える存在そのものであり、その存在意義自体が問われることになる。

そうならないように、ケアマネジメントは利用者の勇気を涵養(かんよう:水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。)するための希望につなげるものであり、ケアプランはその宣言文であることを肝に銘じてほしいのである。
勇気には希望が必要だ
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