現在77歳となった某有名コメディアンの年の離れた若い妻が、「介護職員初任者研修」に合格したことが話題になっている。

自分の父親ほど年の離れた有名人と結婚した妻に対しては、結婚当時、財産目当てではないかなどと中傷が相次いだが、高齢の夫に介護が必要になった時に備えて資格を取得したことに対しては、手に平を返すような称賛の声がネット上で挙がっている。

こんな風にネット上の声とは、中傷であっても称賛であっても、すべて無責任で意味のないものだと思う。そんなものに一喜一憂する方が損であり、気にかける必要は全くないと言ってよい。

それにしてもテレビのワイドショーのこのニュースの取り上げ方は、全くひどいものだ。「介護職員初任者研修」に合格することが快挙のような伝え方はどうかと思う。勿論、家族の介護を担うために、そうした資格を取得すること、そのために勉強することの志は良しとされるべきで、称賛されてよいものだ。しかし資格取得の難易性について誤解を与えるかのような情報の伝え方は、情報操作と同じことであるように思う。

今更言うまでもないが、介護施設等の介護業務に資格は必要とされていない。介護福祉士という国家資格も名称独占の資格でしかなく、業務独占資格ではない。

介護の仕事で唯一資格が必要な仕事は訪問介護だけであり、「介護職員初任者研修」は訪問介護員の資格を得るために受講する研修である。それは過去の「ホームヘルパー2級講座」に替わる研修である。過去の2級ヘルパー講座は受講するだけで訪問介護員となる資格が得られたが、「介護職員初任者研修」については、試験があり合格して初めて訪問介護員となれる。

しかしこの研修は最短だと1.5月程で履修できる。筆記試験も1時間で、それは振り落とす目的の私見ではなく、学んだことを復習するためになると言ってよいものだ。合格基準を70点程度に設定している場合が多いが、万が一不合格になっても追試で全員が合格するというのが実態である。

介護職員初任者研修」は受講したが、試験に不合格のため資格が得られなかったという人がいるなんて言う話は聞いたことがない。つまりこの資格の実態は、金を払って研修受講すれば得られる資格なのである。しかもこれはあくまで基礎資格であり、資格のヒエラルキー上は底辺に位置する資格である。合格は決して偉業ではなく、このことの誤解を与える報道はいかがなものかと思う。

ところで介護職員初任者研修合格者が、資格ヒエラレキーの上位に位置する介護福祉士になるためには、介護の実務経験3年と併せて、さらに450時間・6ヶ月の『実務者研修』を受けて、国家試験に合格する必要がある。これが実務者コースと言われる資格取得コースである。

しかし介護福祉士養成校に入れば、国家試験を受けることなく卒業と同時に資格が得られる養成校コースが別に設けられている。その国試免除が廃止され、2022年度から介護福祉士になるためにはすべての人が国家試験に合格しなければならないとされていたが、この国試完全実施の延期が決まった。

5日に参議院本会議で可決成立した介護関連法案には、介護福祉士の養成校を卒業した人に対する国家試験義務付けについて、5年間先送りすることも盛り込まれていた。これによって国試完全実施は2027年度まで延期されることになった。

このことが介護福祉士の資格の価値を落とすと懸念する声がある。なるほど現在の介護福祉士養成校の卒業生実態を見ると、この状態で資格を与えてよいのかと思えるスキルの低い人が含まれている。介護ができない介護福祉士が、国試というハードルがないことによって生まれていることも事実だ。

だからといって国試に合格した介護福祉士が、すべからくその資格に見合ったスキルを得て、介護業務に携わっているかと言えば、そうではない実態がある。国試というハードルを経ても、なお介護のプロとは言えない仕事しかできない介護福祉士が存在することが問題だ。

僕が特養の施設長を務めていた当時、単独で介護業務ができずに夜勤をさせられない介護福祉士にも出会ったことがある。試験合格した人にそういう人が含まれていること自体が問題なのであり、国試完全実施がされてもこの問題は解決しないのである。

看護師が介護福祉士より社会的評価が高い理由は、国試が完全実施されているかどうかという問題ではなく、看護ができない看護師はいないが、介護ができない介護福祉士がいるという実態が評価につながっているのである。この根本原因をなくそうとすれば、国試を完全実施する前に、介護福祉士資格取得の方法そのものにメスを入れなければならない。

そういう意味でも、国試の完全義務化が介護福祉士の価値を引き上げると考える方がどうかしているのだ。そもそも世間一般的には、介護福祉士の資格取得のルートなんて知っている人は少ないし、そんなことに関心のある人はほとんどいない。試験合格しない介護福祉士が存在するから介護福祉士の価値が低くみられているわけではないことは、そのことでも証明される。

介護福祉士という資格の価値を貶めているものとは、プロ意識に徹しない介護福祉士の存在そのものであり、家族にもできる仕事を、家族レベルでしか行えない介護福祉士が多いからである。プロとしての矜持やマナーがない介護福祉士が自らの資格の価値を貶めていることを自覚しない限り、この問題は解決しない。(参照:何が介護福祉士の資格価値を貶めているのか

むしろ介護事業者は、社会から評価されるサービスの質を自ら作り出す努力を行ったうえで、資格のみで人物・スキル判断をせず、対人援助としてふさわしい仕事ぶりとなっているかを見てスキル判断を行い、その評価に見合った待遇を与えるという意識が必要だ。そうした職場には自然と人材が集まってくるだろう。(参照:今いる場所で咲けないならば、咲く場所を探して居場所を変えて咲きなさい

社会的な評価が得られるような、介護のプロと呼ぶことができる介護職員に、それに見合った報酬対価を与えることが当たり前になれば、それを目指す職員は今以上に増えることは確実である。そのことで介護職そのものに対する評価は高まるだろうし、その流れの中で、国家資格を得ている介護職員は、さらに評価が高くなるのである。

資格という冠だけに社会が評価を与えるものではないということを理解しなければならない。

よって、介護福祉士になるための国試完全実施が5年間先送りされたことに対しては、さほど目くじらを立てる必要なんてないのである。

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