僕の学生時代の専攻は児童福祉であり、実習先は児童相談所や児童施設であった。そこでたくさんの子供たちとの出会いがあり、その中で僕は福祉の道へ進む動機づけとか覚悟を持つに至った。

父親に犯されて妊娠してしまった中学生。親の離婚と育児放棄という状況の中で、生きるために盗みを覚え常習化た小学生の兄弟。継母から虐待を受け、口がきけなくなった小学生。すべて僕が学生時代の実習中に出会った真実のケースだ。

人はいつも正しくは生きていけないのかもしれませんが、せめて大人が子供の心を壊すことがなくなって欲しいと思った。子供の心を壊す親や大人を心から憎んだ。子供を産んだら親としての責任を果たせと言いたかった。いつまでも男と女をやってないで、きちんと親になれと言いたかった。

そんな僕の原点を書いた下記のブログ記事を、まだ読まれていない方には是非読んでいただきたい。
Think about my Daughter 〜「もうひとつの少年期」との出会い
Think about my Daughter 2 〜 僕は天使ぢゃないよ。
Think about my Daughter 3 〜 彷徨(さすらい)
Think about my Daughter 4 〜 最終章:光と影。
THINK ABOUT MY DAUGHTER 2

2005年11/9にこのブログを立ち上げて以来、こんなふう僕の心の叫びを様々に書きなぐってきた。ここは僕のその時々の心情を素直に正直に表す場であり、他人の意見を聞く耳は持たない場所でもある。他人の意見やアドバイスなんてくそくらえだ・・・そんなふうに考えてずっと思いを書き続けている。

それが嫌だとか不快ならつなげるなよと言い続けている。勝手にアクセスして嫌だも読みたくないもないだろうと思う。反論があるなら顔と本名をさらして堂々としかるべき場所で意見しろと思ったりする。そんなわがままで勝手な場所であることを許せる人だけ読んでくれれば良い。

不幸とか幸福とか、好きだとか嫌いだとかという形のない概念は、それを感じる主体によって違ってくるんだろう。だから今の状況が、全ての人に不幸だとか、幸福だとかいうことはできないし、嫌われてもすかれてもどうでもよいと思う。何が正しいのかということの答えは誰も出せない。

現代社会とは、世界中の出来事がモニターの前にいれば瞬時に把握できたり、どんなに遠くにいる人ともリアルタイムでコミュニケーションがとれる便利な社会にはなった。コロナウイルス禍で在宅テレワークが増えてくると、それがスタンダードになっていく職場も増えていく。

そうした状況の中で、人と人のふれあいが希薄になったり、苦手になったりする人が増えるかもしれない。そこでは少しずつ「人に対する優しさ」が失われてしまうような気がしてならない。モニター画面で完結する仕事では、ともに仕事をする人、仕事の対象となる人のリアルタイムの心臓を思いやる必要性が乏しくなるからだ。

僕はそれはとても嫌なことだと思う。

この年になって蒼臭いといわれるかもしれないが、社会全体の優しさが失われていくことに対して、「それは違う」という声を出し続けようと思う。人が人を思いやれない社会はまっとうな社会ではないと言い続けたい。

社会のひずみや影の部分にも目を向けていきたい。光り輝く部分は誰にでも見ることができる。そうではない影を見つめて、光の当たらない場所を温めてくれる存在がないと、人の生きる路には険しさしかなくなる。

地域社会から優しさの量が減り続けるのであれば、人は苦しさから逃れる術を失ってしまう。
人の心は真っ白なキャンパスである
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