東日本大震災から9年目の3.11を迎えた今日、日本は新型コロナウイルスの感染拡大で様々な行事が中止・延期されてるなど、様々な場面で自粛ムードが広がっている。

東日本大震災の慰霊行事も例外ではなく、政府主催の追悼式も中止されるなど、各地の慰霊式典も中止・縮小を余儀なくされている。

それを残念に思う人も多いだろうが、被害にあわれた方々に思いを馳せることは、どこでもどんな形でもできると思う。各人の心の中でしっかり追悼・慰霊の思いを持ち、地震が発生した14時46分18秒になる時に、頭(こうべ)を垂れて黙とうを捧げることで良いのではないかと思う。

あの震災で亡くなられた方とこの世で縁を結んでいた人たちが、亡くなられた方一人一人の顔と名前を思い浮かべ、その人たちを決して忘れないように、思いを紡ぐことで良いのではないだろうか。

あの震災が起きた日は金曜日だった。

地震が発生したその時間、僕は今日滞在している福岡で講演中だった。地震の揺れが全くなかった福岡にいた僕は、同じ日本という国の中で未曽有の大地震と津波が起きて、たくさんの人たちの命が一瞬のうちに失われてしまったことを知らずに、ごく当たり前の日常を過ごしていた。

その福岡で9年ぶりに3.11という日を迎えている。そして僕が今ここに元気に存在していることの意味を考えている。生かされている意味を思っている。

あの震災で僕と直接つながりのある人が亡くなったわけではないが、対人援助の仕事を通じて間接的にご縁のあった方が、僕の知らないところで亡くなっているかもしれない。このブログや表の掲示板のアクセス数が、震災後に1日数千件も減った日が続いていた理由の一つは、僕の管理サイトの読者の方々で、被害にあわれた殻がいるという意味だろうと思う。

震災後にもいろいろなエピソードを聴いた。デイサービスに来ていた人を、地震後いつもより早く自宅に送ろうとして、利用者の方々と共に波にのまれた介護職の方。利用者を高台に背負って避難誘導している最中に、高台から波にのまれる施設を見て、その中に自分の妻も含まれていたと話をした青年・・・。波にのまれたときに、握っていた利用者の手を離した人が、自分だけが助かって、手を離した人が亡くなったことを、今でも悔いている姿・・・。

今も被災地では、失われ子供たちの声が聴こえるという人たちも多い。いろいろな思いを抱えて、この9年間を過ごしてきた方がたくさんおられるのだろう。

この世で生かされている人、遺された人には、いろいろな思いが存在している。悲しみも悔しさも、やりきれなさも、時間が解決してくれていない人たちがたくさん存在している。

そうした人たちがたくさん住む日本という国に生まれ、生きる私たちができることを探し続けなければならない。

私たちは常に熱い思いを持ちながら日常を過ごしているわけではないし、日常に流されて漂うように過ごしている時間も多い。しかしせめて今日という日、その時間になる時には、3.11という日に何が起こったかということを思い出しながら、この世に思いを残したまま旅立っていったたくさんの命と人生があることを胸に深く刻みたいと思う。

今日という日は祈りの日であることを忘れないようにしたいと思う。あの日と同じ福岡の青い空を見ながら、思いを胸に抱いたそのあとで、深く頭を垂れて合掌したいと思う。
東日本大震災
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