僕が管理する表の掲示板に次のような質問が寄せられた。
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看護師より「特養で看取りになったときに、もともとの疾患から激しい痛みが発症したときに、苦しんでいるのを放置はすることはできないため、救急搬送が必要であるから、家族にこのことを承諾を取れないと施設で看取ることはできない」と言います。このような時に、どのような判断と対応をされているのでしょうか。アドバイスをよろしくお願いいたします。
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個人的感想を述べるとすれば、「すごく恐ろしいこと」だというしかない。こんなレベルの議論が交わされている場所で、「看取り介護」という誰かの人生の最終ステージに関わる介護が行われているのは実に怖いことだ。

同時に看取り介護が、このように知識がない状態で漫然と行われているのは、命に対する冒とくでしかないと感じた。こんな状態を、「看取り介護」と呼ぶことはできないし、そもそもそういう状態が存在すること自体が、あってはならないのである。

僕がこの質問に、「空恐ろしさ」を感ずる理由は二つある。

一つは質問者のあまりに低レベルな看取り介護の知識に対する怖さだ。こんな理解レベルで、本当に誰かの人生の最終ステージを、その人らしく過ごせるように援助ができているのだろうかという恐ろしさ・・・。

看取り介護とは、「医師が一般的に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者」に対する介護であり、概ね余命半年以内と判定された方に対して行う介護を言う。

つまり命の期限がある程度予測されている人が、人生の最終ステージを生きるために必要とされる支援ともいえるわけである。その限られた期間において、様々なエピソードを刻むことによって、この世で縁を紡いだ方々と、命のバトンリレーを行うことができる時期でもある。

そこで最も考えなければならないことは、人は最期の瞬間まで人は生きるのであり、看取り介護は決して死の支援ではないということだ。だからこそ命が燃え尽きる瞬間まで、看取り介護対象者の人としての尊厳が護られる必要がある。

そこで最も求められることは、看取り介護に関わる人々が、対象となる方の最期の瞬間まで安心と安楽を提供することである。

そしてそのために最も重要なことは、「苦痛がない終末期の過ごし方」であり、「痛みの管理」は特に重要である。

例えば、「末期がん」の場合、高齢者であっても痛みの管理(ペインコントロール)が必要な人がいる。その時ペインコントロールができない場所で、それらの方を看取ってはならないのだ。なぜならがんの痛みは、ほぼ完全にコントロールできるのが今の医学レベルだからである。それができない場所で、無理に看取り介護を行うという意味は、看取り介護対象者を痛みで苦しめて、痛みにのたうち回らせながら死なせるという意味にしかならない。それは看取り介護とは程遠い場所に存在するものである。

病状に伴い痛みが出現することが明らかな場合、その痛みをコントロールできないのであれば、その場所で看取り介護はできないのである。してはならないのである。

痛みのある末期がんの人のペインコントロールが不可能な場合には、痛みのコントロールが可能なホスピス・緩和ケア病棟などの医療機関などを紹介して、そこへの転院支援をすることが一番求められることなのである。

相談援助の専門家はそのために存在しているのだ。そうした判断も対応もできない相談援助職は、存在意義がない人間ということになる。

加えてこの質問者の所属する施設のもう一つの恐ろしさとは、看護師のあまりに利用者を無視した傲慢な考え方である。

その施設の看護師は、『救急搬送が必要であるから、家族にこのことを承諾を取れないと施設で看取ることはできない。』と主張していることが書いてある。

これな考え方をする看護師が存在すること自体が恐ろしいことだ。救急搬送で対応しても、痛みに苦しむ状態がそこに存在することに変わりはないわけで、それは看取り介護対象者を苦しませることを前提にした考え方である。そのような予測の元に、そこで看取り介護を行ってはならないのである。

それにしてもこの看護師は、家族の同意が得られれば何でもありだと思っているのだろうか。家族が同意すればコントロール可能な痛みをコントロールせずに、対象者を苦しませる時期があっても良いという意味なのだろうか。痛みに苦しむ人がそこにいたとしても、救急車で病院に送りつけさえすれば済む問題だと考えることの恐ろしさになぜ気が付かないのだろうか。そんな看護師は看護免許を返上してほしいとさえ思う。

仮に家族が、「痛みがでたら救急搬送してくださればよいので、ここで看取ってください。」と希望したとしても、「痛みが出て救急搬送する間に、○○さんは痛みにもがき苦しむことになります。それは今の○○さんが、一番望まない状態と思えますので、痛みが出ないようにコントロールできる場所を紹介しますから、そこで最期の時間を過ごしていただきませんか」とたしなめるのが、看護や介護のプロの役割りだ。(参照:安楽でない看取り介護は許されない

それをしようとしない人間が、看護職に就いていることに恥を知れと言いたくなる。

そもそも終末期の人を痛みで苦しませる同意権なんて家族にもないという当たり前のことになぜ気が付かないのだろう。

そういう理解もない特養が、今現在、看取り介護をしているということは、非常に恐ろしいことだ。それは本当の意味で、「看取り介護」になっているのだろうかと疑問を持たざるを得ない。

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