日曜の午後に松山から伊丹空港を経由して京都に来ている。
昨日と今日、京都府医師会館で看取り介護セミナーの講師を務めるためだ。このセミナーは、2日間で合計10時間のセミナーで、そのうち僕の講演が6時間半。あとはグループワークと質疑応答の時間である。
セミナー初日となった昨日は、看取り介護とは何かということについて、それが日常ケアの延長線上に過ぎないことを説明しながら、看取り介護とは介護支援者すべてが携わるべきステージで、そのために必要な知識や援助技術を獲得しておくことは、介護を職業とする者の義務であり、使命であるということを伝えた。
さらに看取り介護の前に求められるリビングウイルの支援としての、「人生会議」の必要性などについて2時間の講演を行った後に、今日に向けて何を知りたいのか、看取り介護に関連した不安や疑問などについて、GWで話し合ってもらった。
今回の研修は、「看取り介護の導入研修」ということで、看取り介護の実践経験がないか、経験が浅い人を対象にしているので、様々な不安や疑問が示されている。
終末期を生きる人に苦痛がないように支援することが大事だといっても、そもそも、「苦しい、苦しい」と言って亡くなる人を見たことがないという疑問も示されていたが、人が死を迎える瞬間は、苦痛を緩和してくれる麻薬物質が脳から抽出されて、最期の最期は、苦しまずに逝くとしても、そこに至る過程で、苦しい辛いと言いながら、意識を失っていく人は多い。
看取り介護とは、最期に呼吸を止める瞬間までのケアであるが、その瞬間だけのケアではない。そこに至る過程での苦痛緩和は重要であることを理解しなければならない。
自分が夜勤中に、看取り介護対象者がなくなる際に、どのタイミングで家族に連絡したらよいかわからないという疑問も示されている。
しかし看取り介護とは、急死の場合とは異なる死の迎え方である。あらかじめ医師による終末期判定がなされて、看取り介護計画書にも同意を得ているのだから、家族が傍らにいない状況で、対象者が死を迎えるケースでは、まずは死を迎える人が寂しくないように寄り添うことが大事である。きちんと死の瞬間を看取ることが出来たら、その状況を家族に伝えればよいだけの話で、家族に連絡するのは、死の瞬間を看取ったあとで問題ないと思える。
仮に死の瞬間を家族が看取りたいと思うケースは、家族がそこに泊まり込んでついているだろうから、その場合は、連絡をいつ行うかなんてことを気にする必要すらなくなる。
何らかの事情で家族が、看取り介護対象者の死の瞬間に、そこにいないケースは、家族のケアより、看取り介護対象者のケアを優先するのは、至極当たり前のことである。
そんなふうなことを含めて、先ほどまで午前中2時間半という時間を使って、様々な疑問に応える内容で講義を行っていた。これから昼休みをはさんで2時間の講義を行った後、2日間の講義とGWを経ての学びの確認と、残された疑問点を整理するGWを1時間ほど行った後、質疑応答でセミナーを締める予定である。
午後からのいくつかの疑問に応えながら講義を行う。
看取り介護は、安静と臥床を求められるけど、離床させたいと思うのは間違っているのかという疑問も示されている。安静と称して、「寂しい看取り介護」が、何と多く行われていることか。「寂し看取りは嫌だ」ということを講義の中で伝えて、看取り介護の最中も、活動参加はできることを、事例を通してお伝えしたい。
ということで、この記事も昼休みの時間を使って、ご飯を食べながら慌ただしく更新しているとことだ。今日はこのセミナーを終えた後、京都にもう一泊して、明日10日ぶりに北海道に帰る予定になっている。
残されたわずかの時間であるが、京都の皆さんに、命に寄り添い・生きるを支える看取り介護の実践論を伝えたいと思う。
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