全国民の8割以上の方々が医療機関で、「死」を迎えるわが国ではあるが、その割合はほんの少しずつ減り続けている。

それは死者数が増えて、医療機関では死ぬことができなくなる社会に備えて、死ぬためだけに医療機関に入院する必要がないように、様々な場所で死ぬことができるようにしようとする取り組みが増えているという意味でもある。自宅だけではなく、特養をはじめとした居住系施設などの暮らしの場で、息を引き取る方々を最期まで支援する取り組みが年々増えている。

それは自宅で「死」を迎える人が過半数であった昭和51年以前の日本に先祖返りしていくかのようなものだ。それは多くの人が自宅で「死の瞬間」を迎えるのが当然だった頃の、この国の人間関係や慣習を取り戻す過程なのかもしれないし、失われた日本人の心を取り戻すことにつながるかもしれないと思ったりしている。

そんな過程において、家族だけではなく、医療・看護・福祉・介護の専門家が全国の様々な場所で死に向かい合う人を支援する機会が増えている。それにつれ死を目前にした方々を支援する一連行為を、「看取り」・「看取る」と表現されることも多くなった。

それは決して間違った表現ではないし、その言葉自体にいちゃもんをつけるつもりはない。しかし私たちが、「看取り介護」という言葉を創り出した経緯を少しだけ理解してほしいと思う。

ここまで読んだ方はおそらく疑問を抱いたであろう。それは、『私たちが、「看取り介護」という言葉を創り出した経緯』ということに対する疑問だと思う。看取り介護という言葉なんて以前からあっただろうと指摘する人がいるかもしれない。

しかしそれは間違った理解だ。『看取り介護』という言葉ができたのはつい最近である。少なくとも2005年まではそのような表現方法はなかったのである。

古来から日本には、「看取り」・「看取る」という言葉はあった。しかし、「看取り介護」という言葉が生まれたのは2005年以降である。

2006年4月からの介護報酬改定時に、特養の終末期支援の取り組みに対して、新しい加算が創設されることになった。その当時、特養の終末期支援も、「ターミナルケア」と表現されることが一般的であった。

しかし介護報酬の基本的考え方では、医療系サービスと福祉系サービスができるだけ区分できるように、両者に共通の行為についても名称を別にするという考え方があった。例えば医療系サービスで、「リハビリテーション」と表現することに対して、福祉系サービスは、「機能訓練」と表現を変えるなどが、その基本に沿った名称区分である。

そのため当時の厚労省の考え方として、ターミナルケアは医療系サービスにおける表現方法であるとして、福祉系サービスである特養の終末期支援に対する新設加算について、ターミナルケア加算という名称はそぐわないので、別の名称を考えてほしいと、全国老施協に打診があったという経緯がある。

その時にターミナルケアは、「終末期介護」と訳すことができるので、「終末期介護加算」にしてはどうかという意見も出された。だが一部役員から、「終末」という言葉はネガティブイメージを与えかねないという意見が出され、他の表現方法はないかと模索する過程で、古来から日本語の表現としてある、「看取り」という言葉に着目し、これに介護をつけて、「看取り介護」という新たな言葉を創ったという経緯がある。

看取りとはもともとは、「病人のそばにいて世話をする」、「死期まで見守る」、「看病する」という意味である。つまり「看取り=看護と介護の一連行為すべてを含むもの」であり、終末期支援だけを意味しない。

その「看取り」という言葉に、「介護」をくっつけることで、「看取り介護」という新たな表現方法を創り出し、それは福祉系サービスを中心にした、「終末期支援全般」を意味する行為としたものである。

その言葉には逝く人を最期の瞬間まで支えることができる介護とは何かという思いが込められている。最期の瞬間に傍らにいてやる介護ではなく、傍らにいることが許される関係性を築く過程を大切にし、その延長線上に命が燃え尽きる直前まで、人として尊厳ある生き方を支えようという思いが込められているのだ。

例えば、医療機関で最期の時間を過ごしている人すべてがターミナルケアを受けているわけではない。ただ単に死に場所が医療機関であるにすぎない人も多い。医療機関でターミナルケアを受けていると言いながら、誰からも看取られず一人寂しく旅立っていく、「医療機関内孤独死」も多い。ターミナルケアと称しているのに、適切な介護が行われず、ターミナルケア中に一度も入浴機会がなく、皮膚の汚れが目立ち、中には褥瘡さえ発生させる状態になってる人もいる。

私たちが造語した、「看取り介護」とは、そうしたエセターミナルケア・偽物の終末期支援を否定し、対象者が人生最期の時間を過ごすにあたって、少しでもこの世でつながりのある人たちとエピソードを刻みながら、この世に生まれ生きてきてよかったと思えるような、人生の最終ステージを過ごすための介護を目指し、心を込めて、心にかけて護るという介護の本質を実現するためのものである。看取り介護という言葉には、そんな意味が含まれているのである。

どうもこの業界の中には、略語が専門用語だとか、略語を使うことが専門性だとか勘違いしている人が多い。認知症を「ニンチ」と略して表現することを恥ずかしいと思えない専門馬鹿も存在する。

看取りという表現方法は、そこまで不適切な問題ではないが、「看取り介護」を安易に、「看取り」と略したり、「看取りケア」なんて表現をする人がいたりすると、当時私たちがその言葉にたどり着くときに、真剣に考えた過程を汚されているように感じたりするときがある。

それは私たちの勝手な「思い」ではあるが、そんな思いのこもった言葉を、せめて老施協関係者や特養関係者だけは大事にしてほしいと思う。

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